雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

MIAUに対する微妙な想い

日本でもEFFのような何かができることには好意的な関心を持っていた。地デジにせよ、著作権期間延長にせよ、技術に明るく消費者目線の団体は日本での論戦に於いて欠けていたピースだし、そういった趣旨の団体ができることには大賛成だ。一方でダウンロード違法化の問題から手を付けたことについては些か失望したし、自分としては参加し難く、応援し難くなった気もする。それは地デジや著作権期間延長の問題と比べて、ダウンロード違法化の問題は立場によって意見が分かれ主張の正統性が微妙だからだ。
然るに政治とは多数派を占めることである。多数派を占めるとは個々の問題設定を自分が多数派となるように再定義し、部分に於ける多数派という入れ子構造を通じて、少数を以て多数を統御することである。そのための公共の政治的言説とは「自分のためにこうしたい」が本音であっても「世の中のためにかくあるべし」とパラフレーズするのだ。
インターネット先進ユーザーとは、偏見に満ちた表現をすると2%の加入者で帯域の9割以上を専有している迷惑な奴らであって、政府にとっても事業者にとっても決して多数派ではない。多数派とはWinnyはインストールが面倒だし情報漏洩が云々とニュースに出たのが怖くて使うのを止め、Youtubeやニコ動は合法だろうが違法だろうが気にせずに使い、DRMが云々といわれても「はぁ?」という連中だ。
ヘビーユーザーの代弁もあって然るべきだが、政治的影響力を行使しようというエンティティとしてはニッチに過ぎるではないか。少なくとも政治家を輩出するほどの母数ではない。事業者に対して影響力を及ぼす観点でも、採算の取れないマイノリティ層と括られるよりは、利用者全体の利益を前面に出した上で、その中で影響力を持ち中期的な技術革新を牽引している集団であるという二枚腰の戦術でいくべきだったのではないか。
ダウンロード違法化の問題から手をつけるのは、それが著作権法改正に於いて切実な問題だからと推察する。ダウンロード違法化は個人的には反対だが、積極的に反対すべき目に見える弊害も見つけがたく、大衆運動を惹起するには些か求心力に欠く。裏を返せば著作権延長にせよコピーワンスにせよ、既得権者でさえ押し切れない程度に無理筋なのかも知れない。その分、アクティブユーザーにとっては切実な政治課題でないともいえるが。

ThinkCにせよMiAUにせよ、ネットの論客が現実社会の政治に目覚めることは、日本に於いて遅ればせながらやってきながらも避けがたい歴史的潮流として興味深い。これから政治力の行使について試行錯誤が続く中で、見えてくる現実や次の方向性もあるだろう。だから設立そのものは大きな前進ではあるし、微妙に立場を隠しつつネットの片隅で戯言を呟く俺よりは素晴らしい仕事をしていると尊敬する。とはいえ折角クレバーな人たちが集まっているのだから、勢いと内輪受けだけでなく、もっと戦略的に動けるんじゃないかなぁとか手も動かさずに考えてしまう僕は、きっと臆病な傍観者に過ぎないのだろう。
という訳で主張にも手法にも賛同し難いところもあって、賛同人には名を連ねることについては躊躇しているのだけれども、総論としては応援していますよ。名を連ねる以外にだって、手伝えるカタチはいろいろあるだろうし。

つまり、現実の社会を動かすためには、ネット上でいくら騒いでもダメで、実態を持った組織が必要なのだということが、ここ数年の取材を通してわかった。なぜならば現実世界のほうからは、決してネットに対してアプローチしてこないからだ。
MIAUは、ネットの世論を拾い上げ、それを現実社会に対して伝えていく。そういう組織である。将来的にはITとデジタルに強い消費者の代表組織として、誰かをどこかの委員会や審議会に送り込むこともやりたい。もっと言えば、誰か政治家になる人間がいてもおかしくない。そういうところまで行ければ、すごいことだと思う。