雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

先祖返りしたMastodonと、Webという楽園追放の物語

Mastodonが流行り、さくらのクラウドが馬鹿売れしてると聞いて、そんなこともあるのかと驚いた。世間ではp2pといわれるけどMastodon自体は典型的なサーバーだ。昔ながらのクラサバと違うのは他のインスタンスと連携するサーバーだという点だ。id:shi3zはそれをp2p2eといってるけど珍しいトポロジではなくて、みんなも普段から使っているインターネット自体の経路制御とか、名前解決のDNSとか、電子メールのSMTPとか、インターネット上の仕組みはそういう風に設計されてきたし、だから分散システムと呼べたのである。

僕はMastodonP2P(+Edge)だと思っている。こんな用語は聴いたことないが、P2P2Eと略しても良い。
んで、P2P2Eとはどういうことかというと、少数のサーバント(server + client)が相互に対等な関係を保ちながら、各サーヴァントに対してエッジ(端末)がアクセスする構造。

そうはいってもSNSのようなコミュニティーは違うじゃないかと思われるかも知れないが、昔からNet NewsとかIRCという仕組みがあって、オンラインコミュニティーも永い間p2p2eで動いていた。
Tim Berners-LeeがWorld Wide Webを発明した時、当初はWebもまたp2p2eの仕組みをひとつ増やしただけのように思われた。WebサーバーとWebサーバーはリンクで繋がって、そこにendのブラウザがぶら下がっていたからだ。Tim自身はSemantic Webといって紐付いたオープンなデータを通じて意味を疎通させようとしたけれども、残念ながらWebはそっちの方向には進化しなかった。
Webがどうやってp2p2eから乖離していったか、ひとことで説明することは難しい。当初の設計自体にも原因は内在しているし、インターネットの商業化を推進する過程で、生き残るために進化してきた面もある。Webは公開された情報だけでなく、個別の認証コンテクストを扱えるようにしたことで、公での情報共有だけでなく商取引や個人的なメッセージの交換など様々なことに使えるようになった。
一方で開かれた意味ネットワークの入り口として構築されたはずのWebブラウザは、ユニークな機能やサービスを提供する様々なサーバーにまたがってアクセスできる汎用端末アプリとして普及し、ひいてはディスプレイサーバーそのものに匹敵するUXの柔軟性を手に入れた。
しかしWebサイトが複雑になればなるほど、個々のサーバーで異なるサービスを提供し、それぞれが異なる状態を持ち、独自のデータとロジックをWebサーバー内部に抱え込んで、インターネットらしいp2p2eからかけ離れていった。しかもcookieの登場でパーソナライズが可能となり、SSLで暗号化をサポートしてクレジットカード決済などを通すようになり、ユーザー毎にログインしなければ見られない情報が増えていくことで、Webがリンクによって緩やかに繋がった仕組みではなく、サイト毎に個人向けにカスタマイズされたサービスを提供する典型的なクライアント・サーバー型のサービスへと後退した。
こうしたWebの変質はインターネット商用化の申し子ともいえるNetscapeによって牽引されて、ブラウザ戦争を通じてMicrosoftも参戦する中で加速した。WebサイトはNet NewsやIRCのようなコモディティーとしての公共財ではなく、成長の期待できる独自サービスとしての成長を志向した。様々なサイトがこれまでのインターネットでは提供できなかった付加価値サービスを提供したが、それらは独自のデータをバックエンドに溜め込み、独自のIDでログインしなければデータにアクセスできない仕組みとなった。Netscapeのブラウザ戦争に負けた際に資産として再認識されたブラウザを立ち上げた時のスタートページをポータルサイト(入り口)として活かす戦略は、個々のサイトが機能特化型のサービスではなく全方位的にサービスのポートフォリオを揃えさせる方向に働いた。Googleが登場して検索サービスだけでなくGmailなどの様々なサービスを独自の分散アーキテクチャーで提供し、AmazonGoogleにスケールで対抗すべくクラウドをオープン化して、この流れにMicrosoftIBMが乗ったことで、Webはこれまでのインターネットのようなp2p2eから遠く離れた、少数の超巨大クラウドを中心としたトポロジへと変質してしまった。
この間に分散型アーキテクチャーを再興する動きもいくつかあった。ひとつはNapsterGnutellaを嚆矢としたp2pであり、もうひとつはトラックバックでリンク構造を双方向にしたBlog、その記事のメタデータを緩やかに相互連携させるRSSなどのWeb 2.0関連技術である。BitcoinやBlockchainは前者の末裔だし、MastodonのOStatusなんかは後者の末裔といえる。いずれも1990年代末に登場したものの、階層型のCDNGoogleをはじめとした巨大サービスに太刀打ちできず、残念ながらニッチでの利用に留まっているのが実態だ。
2000年代前半にWeb 2.0関連技術が注目された背景に9.11があった。9.11で既存メディアの言論空間が政府からの圧力によって画一化する中で、ユニークで鋭い言説が個人のブログ上で展開され、トラックバックで緩やかに連携した。MTやWordpressなどオープンソースCMSを使って簡単にサーバーを立てることができ、各社からブログサービスが提供されたBlogシーンは、昨今のMastodonと非常に近いエコシステムといえるだろう。Blogが定着したものの、TwitterFacebookほどのマスには届かなかった理由を再考することは、Mastodonの未来を予測する上で、参考となるのではないだろうか。
この点を突き詰めて考えると、結局のところミドルウェアをばら撒く仕組みでは、俊敏にアーキテクチャーを刷新できないという問題に行き着くのではないだろうか。同時に粗結合よりも密結合の方が様々な機能を容易に実現できる。Mastodon自体、10年前のTwitterをやっとp2p2e型のアーキテクチャーで置き換えたという話でしかないし、アプリや他サイトとの連携といったエコシステムの形成もこれからだ。不正対策なんかもやろうとすると、データが散らばっておらず企業としてチームを抱えているTwitterと比べて困難を極める。Webの世界で従来のインターネットを支えてきたp2p2eモデルではなく、より肥大化したサーバー(クラウド)とクライアントとの関係へと変質していったことには、それなりの技術的、ビジネス的な合理性があった訳だ。
もうひとつの分散アーキテクチャーであるp2pは、Webと棲み分けることを選んで生き延びた。海賊版ファイルの流通に使われてきた時代から、表のWebでやりとりできない情報を交換する仕組みとして普及した。信頼できないが故にクレジットカード番号などの決済情報を流すことが難しく、それ故にビジネス的な広がりを持たない時代が続いてきたが、Bitcoinの発明で価値をやりとりすることも可能になった。アーキテクチャーとしてはp2pビットコインだが、フルノードの運営には数十GBのストレージが必要でp2p2eモデルに近くなり、信頼の源泉となるマイニングも8割近くが中国内陸部に集中するなど、トポロジーとしての集中化が進んでいる。p2pをビジネスにしようとしたグループウェアのGrooveやVoIPSkypeは、いずれもマイクロソフトに買収されてクラウド化した。競争のために運用の手間を減らしつつ管理要素を集約して俊敏に更新するモデルは、そもそもp2pの思想やトポロジと合わないのだろう。
このように生き残ったはずのp2pでさえ、生き残りのために集約の道を歩んでいる。Webに君臨する巨大Webサイトの内部は、PCサーバーのエコシステムを最大限に活用してスケールアウトさせるために、大規模な分散アーキテクチャーを採用しており、結果としてその差は徐々に縮んでいる。蓋を開けてみると結局のところ、対極にありそうなp2pとBig Giantともに似たようなノードで、違いは管理主体とノード間の通信速度・遅延くらいなのかも知れない。そしてエンジニアリングの水準が同様であれば、ガバナンスが単純でノード間の通信容量が大きい方が自由度が高く、より多くのことが実現できるし、細かくアクセス制御を行い、囲い込むことも容易だからビジネスモデルを立てやすい現実がある。
そういった現実を踏まえてp2p2eモデルの復権を考えるには「資本に苦手なことは何か」を考え抜く必要がある。例えば資本の論理では儲からないサービスを継続することが難しいが、主体を変えつつも同じサービスを提供し続けるにはp2p2eモデルが有効かも知れない。大企業であればコンプライアンスが求められるので、BitcoinやTorがそう使われているように、違法とされている行為は単独企業に独占されていない基盤の上で行われるだろう。またインターネットやLinuxがそう発展してきたように、多くの企業にとって必要な公共財で、非競争領域として多くの企業による研究開発の受け皿として機能できれば、オープンであっても発展する余地は十分にある。BitcoinやBlockchainはそのような成長軌道に載ることができるのか、ちょうど岐路に差し掛かっているのではないだろうか。
Mastodonもそうなって欲しいところではあるが、様々な企業がMastodonをカスタマイズしていても、新たな機能なりを寄贈する段階には至っていないようにも見える。とはいえソーシャルメディアが少数の企業に独占されているよりも、緩やかに連携する公共財として運営された方が物事を仕掛けやすいと考えるマーケッターが増えた場合に、OStatusのようなソーシャルのオープン化が、再び試みられる可能性は残っている。この十数年の間に繰り返し試みられてきたAtomFOAF、Open Socialといったソーシャルのオープン化に対する取り組みが何故キャズムを超えられなかったのか、振り返ってみても面白そうだ。