雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

肩書について

江島氏のblog「ピーターの法則と人事考課のジレンマ」について。社内外で肩書を分けることについては,一般に広く行われている。例えば日本企業で一般的な職能資格制度も,役割としてのマネージャ・ポストが減るなかで,従業員のモチベーションと年功賃金を維持するために考案された制度である。江島氏は年功序列の肩書は認めても年功序列の賃金には批判的だろうから,趣旨は違うけれども,問題とその解決策という点では似たり寄ったりである。
わたしの知っている外資系某社の場合は,肩書きは2つどころか3つあって,それは社外向けの肩書,社内向けの肩書,待遇上の肩書である。それとは別に,いわゆるレポートラインという1本の木となった明確な序列もある。外向けの肩書をポストと別に定義できるのは柔軟で便利なところもあるが,柔軟過ぎると名刺上の肩書が政治的に乱高下することもあり,外部への説明が難しい。わたしはまだ若輩者なので,偉そうな肩書をもらっても面映ゆいばかりでモチベーションは上がらない。偉そうな肩書に騙されて他人から擦り寄られると自分が相手を誤解してしまう懸念があり,却って迷惑でさえある。肩書は序列ではなく,職務上のミッションを端的に示しているべきだ,というのがかねてより私の持論だ。とはいえ40代くらいになると,それっぽい肩書を持っていた方が自然なのかも知れないし,それでモチベーションが上がり,仕事も円滑に進むというのなら,それに超したことはあるまい。誰もがそう考えるから実際のところ,世に担当課長なり担当部長なる便利な役職が溢れているのである。