雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

木に竹を接いだ世界を生き抜くための和魂洋才

いろいろな部署で頼りにされているひとが突然いなくなったり,外資から意気揚々とやってきたおねーちゃんが「でもここ日本ですから,残念!」とやられているのを散見して,これは赤提灯で会社の理不尽を憂うこと以外に,もうちょっと真面目に考えなきゃなと思う今日この頃.先日の調達改革シンポジウムで岸本氏が「でも究極の効率的な調達は,信頼関係に基づく随意契約なんですよ」というのを聞いてピンときた.
伝統的に日本では結果最適を考え,ある程度の職責になると腹芸ができてナンボ,いわれたことだけやってると「ガキの遣いじゃないんだから」と馬鹿にされるのに対し,米国では過程に対する説明責任を問われ,結果がよくても理由とか方法を説明できなければ評価されないし,大した結果を出していなくても粛々と「ガキの遣い」に徹して,低い目標を正当化する洗練された言い訳さえ用意していれば,通信簿が優で埋まる.まぁ通信簿が優で埋まったからといって,それで少しずつは給料が増えても,出世には幾重もの「ガラスの天井」があるし,クビになるときはあっさりクビになるのだから,そうそうヨイコばかりが偉くなるって訳でもない.
わたしの上司はかねがね「天をみて仕事せよ」という信条で,それは周りに上をみて仕事しているひとがいっぱいいることの裏返しであったりする.日本の職業倫理は「困っている同僚がいたら助ける」というもので,流れ玉を拾い続けていると「あいつはコツコツよくやっている」と評価されるが,海の向こうでは会社のことを考えて流れ玉を拾っていると上司からは「なぜ私がやれといったことをやらない」といわれ,結果最適を考えて腹芸を使うと「お前は仕事のやり方について説明責任を果たしていない」と刺されたりする.「流れ玉を拾うより,俺のいったことを俺のいった通りにやれ」ということである.かといって,やっぱりここは日本.上ばかりみていると,気がついたら裸の王様,笛吹けど周りが踊らず仕事が回らなくなって,結果的に上からも評価されなくなるのだから面白い.
アングロサクソン的な人事制度の上で日本的職業倫理を持った人々を扱い,それを極めて日本的に運用するとこういうことが起こるのであって,成果主義とかバランススコアカードとかコンピテンシーとかの流行った日本でもここ数年,似たような馬鹿話は山ほど転がっているのではないかと推察するけれども,そこで生き抜くためには適当に周りを手伝って裸の王様になるのを避けつつ,腹芸はこっそり使って表向きガキの遣いというフリをすることだろうか.僕はそんなに器用でも真面目でもないから...
何だかんだいってもここは日本,ガキの遣いは相手にされない.やっぱり天をみて仕事をした方が得なのだと信じている.「会社の方は君と心中する気なんかさらさらありませんから,残念!」