雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

信仰について

僕はよく分からないという理由で宗教に入らないことにしているが、人生にしても経営にしても分かって決めることなんて何一つないのであって、本当は宗教を遠ざける何か別の理由があるのだろう。
人間はどこかで理を求める生き物で、理に反すことを回収する為に宗教を必要とする。そういったことを、義母の葬式の折にも考えた。だから、いま自分から宗教を欲しないのは、救いを求める必要を感じない程度に幸せなのだと思う。
けれども救いを求めていない一方で、内的な倫理規範の根拠を持たない自分は、かなり自分に甘く、自分に都合よい世界観を生きているという自覚はある。どんな宗教であれ歴史の積み重ねの中で、自分と向かい合って倫理的に強く生きる方法はかなり形式知化しているのだろう。いつまで僕は自分に甘く生きるのかと考えると不安になることもあるが、どこに属したところで自分に甘い奴は甘いのであって、何かにすがる前にやることはあるだろうと自戒する。

うまくいえないのだけど、理屈はヒトが強く合理的であることを暗黙の前提に起きがちだけれども、それはあまりに現実から遊離しているということだ。