雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

それでも教養のような何かは必要ではないか

清水さんの主張に概ね賛成ですが,やはり体系としての知識,或いは教養が必要ということもあるのではないでしょうか.学生が意欲的かつ高レベルの知識を持っている前提でないとできない教育というのも中にはあります.
ぼくは経済学部出身で,体系的に計算機科学を学んだことのない人間ですが,構造化コンピュータ構成 第4版―デジタルロジックからアセンブリ言語までオペレーティングシステム―設計と理論およびMINIXによる実装とか計算機プログラムの構造と解釈を手にとって,大学でこういう本を教科書に授業を受けたかったな,と思うことがあります.
まんべんなく教えるところでは意欲の引き出し方とかを考える必要があるけれども,あるところから先,少なくとも高等教育の領域になると,学生が意欲を持っているという前提で,知や体系に触れるという世界もあるべきではないでしょうか.
清水さんのおっしゃる通り,動機付けの部分「それで何ができるのか」から入らないと関心を持てないというのはその通りなのですが,十分な動機と背景知識を持っているという前提で,知の体系や,背後にある哲学に触れる機会を提供することもまた教育の重要な役割だと思うのです.