雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

NetBSD 3.0を入れてみた

ノートPCのハードディスクに少し余裕があるので、リリースされて間もないNetBSD 3.0環境をVirtual PC上で構築してみた。もしベタにPCに入れて住む環境をつくるとしたら、GUIレスポンスが気になるし、Fedora CoreCentOS、ひょっとするとMomongaあたりを入れるんだろうけど*1、Virtual PCで動かす分にはNetBSDの方が消費ディスク容量も小さいし、一通りのソースコードを簡単に展開できるし、なんかほっとするし、ちょっぴり硬派な感じがいいのである。
しかしメジャーバージョンアップと聞いてすごく期待したのだけれども、NetBSDのバージョン番号も気づいたらインフレ気味だね。2.0にメジャーバージョンアップしたときはkthreadが入ったので納得できたけれども、今回なぜメジャーバージョンアップにしたのか、よく分からない。3.0の次は4.0らしいのが、もっとよく分からない。まぁFreeBSDが6.0だしOpenBSDが3.8なので、NetBSDのリリース番号もインフレ気味にしたい気持ちは分からないでもないが、1.6.2までのストイックな感じが好きだったので、いささか残念。いや、僕の勉強不足で実は3.0ですごく新しくなっているのかも知れないけど。
まず代わり映えのしないインストーラに癒され、startxしてtwmで更に癒される。src.tgzとsyssrc.tgzを展開して、日経バイトの最終号で、青木淳さんが勉強し始めにshellのソースを読んでとても勉強になったと書かれていたのを読んだことを思い出し、何となく/usr/src/bin/shあたりを眺めてみる。これなら読めそうだ。僕は馬鹿だったというか、Linuxだとsrc以下にkernel sourceしか展開していないのが一般的だったので、時々思いついたようにkernel近辺のsched.cとか何とかソースをいくつか開いては「分かんねーや」と投げ出してしまっていたのだけれども、まずはuserlandの読めるところから読んでいれば、ひょっとすると僕の言語コンプレックスも少しは直っていたかも知れない。
そういえば最近のFedora Coreでは/usr/src以下にkernel sourceさえ展開しなくなったようで、とても驚いた。あれはLKMができる前にユーザーが自分の環境に合わせてkernelの再構築をしていた時代の名残に過ぎないのかも知れず、僕の触り始めたRed Hat 2.0の頃にはRed Hat系ではkernelの野良buildをするとハマる*2という不文律があたりして、まぁ合理的な判断ではあるのだろうけれども。/usr/srcを綺麗にしてしまって、src.rpmをほどいてまでsourceを眺めるひとはどれくらいいるんだろう。いや別に眺めなくていいけど。
なんか色々と書こうと思ったのだけど息切れ気味。今も昔も新しいものをみつけては追っかけることに膨大な時間を費やす暇があったら、shから地道にCのソースを追っかけてれば違った人生があったかも知れないと考えることもあるけれども、こういうのは技術とかの何に欲望するかとか、そういう問題なのであって、僕はtwmに癒されても、明日になったら意味もなく暇をみつけてはWinFX SDK December CTPと戯れている気もする。あー疲れた。今日はもう寝よう。

*1:Debianでないのは、自分がrpmに慣れていてdebのつくり方を知らないからである。あと昔perlのバージョンアップで嵌ったトラウマとか...

*2:Slackwareでは逆にkernelの再構築をやらないと使えなかった。Debianはカスタムカーネルを簡単にパッケージ化するスクリプトがついてて感動した