雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

いまどき新聞が社会の木鐸だなんて、時代錯誤も甚だしい

違和感は分かる。署名記事で書いてるのも立派。この段階で検察リークで飛ばしまくりのマスコミにあって、冷静なコラムを書いてるのはすごい。それは認める。だけど、いまどき新聞記者に明日を語り、針路を説くことを期待してる奴なんているのか?昔は情報格差があった。入ってくる情報にしても、配れる情報にしても。毎日決まった新聞、毎週決まった雑誌を読む層というのもいたのだろう。けれども今やそういう時代じゃない。
新聞は一次情報と話題を提供してくれれば充分、気の利いたコラムははてブで探すよって、まだ少数派かも知れないけど、きっと増えてくるだろう。本当に社会の批判に耐え、新しい言論市場での競争に飛び込むのなら、記事をRSSでフィードして、コメントとトラバを受け付けるところから始めて欲しい。僕もしがない雑誌ライターだから分かるけど、記事でメアドを晒したところで、大したフィードバックなんて来ないのだから。

検察の尻馬に乗った鈴木宗男バッシングを競いながら、今や彼を評論家としてもてはやすメディア。前日までホリエモンをもてはやしながら、検察次第で怒とうの堀江たたきに走るメディア。むかし軍部追従、いま検察追従で、変わらぬものといえば俗論迎合の卑しさしかないおまえが、どのツラ下げて明日を語り、針路を説くのか。そう感じている読者が少なくないと思う。
(略)
いまや政治に対する観察者、批判者であるという以上に、政治権力を生み出す装置となった感のあるメディア。その無節操な暴走癖、過剰な存在感・圧迫感と加害性を省みず、「悪いのはオレではない」と逃げ腰の醜さが読者の失望を誘っているようだ。どうにも旗色が悪いが、毎日新聞は署名記事を原則にしている。だから許せとは言わない。白紙の新聞を出す予定はないが、それを出した先達の存在を肝に銘じて進みたい。