雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

解雇規制緩和で学歴差別は緩和されるか

福井氏の議論は机上の空論のところが多く頷きかねるのだが,解雇規制を緩和すれば学歴差別は減るという一点に限れば説得力がある.労務屋さんの意見に納得できないのは,解雇規制の緩和が企業行動の変容に繋がることを暗黙のうちに前提としている点だ.
解雇規制のなかった米国で,かつてIBMやHPが終身雇用を標榜したように,解雇規制そのものと,解雇規制を緩和した場合の企業行動とは分けて論ずる必要がある.そして,解雇を制限して変化に柔軟に対応しようとしたことが日本企業の競争力に寄与したとのコンセンサスがあれば,仮に雇用規制が緩和されたところで,企業は自主的に終身雇用を続けるのではないか.ひとを使い捨てる企業が増える中,高い競争力を持った企業が終身雇用の方針を打ち出すことで差別化し,これまで以上に優秀な人材を集められる可能性もある.
私は一部の経済学者のように,企業が自由に従業員を解雇すべきだし,そうすることで経済の効率性が高まると主張する気はない.但し雇用の流動化が必ずしも企業の生産性を高める訳ではないが,雇用規制や新卒に偏りすぎた採用,労働市場流動性の低さは実際のところ学歴差別や雇用の二極化を助長しており,これを緩和することが社会的公正に寄与すると考える.
また,米国で1970年代以降に起こったように,経済の成熟過程にあって雇用が流動化しなければ,ハイパフォーマーに対して仕事で報いることが難しくなるであろうことを懸念する.雇用の流動化で「仕事を通じて人を育てる」ことが難しくなると,米国でその頃からMBAが脚光を浴び始めたように,別の種類の学歴差別は加速する可能性も考えられる.*1
僕はいま僕の妄想する日本の20年後にタイムスリップして,MBA卒のjob hopper達が自分の履歴書とスコアカードを綺麗にするために,会社の将来を平気で毀損する様子を眺めながら,さて時計の針を戻す訳にはいかず,かといって日本企業がこうなったら終わりというか,中国や韓国に勝てないなと悩んでいる.この問題の糸口がみえるまで,僕に考える材料と余裕と機会を与えてくれるのであれば,いまの場所でもう少しの間マッタリしてるのもひとつの選択肢ではないかという気がしてきた.

判例の積み重ねで労働者の解雇に関しては、厳しい要件が課されている。労働者の生産性が低くても使用者は容易に解雇できず、採用時に学歴を重視せざるを得なくなり、格差を助長している。判例頼みから脱却し、雇用契約の精緻化と合意の尊重を立法で図るべきだ。
(略)
格差問題の隠れた大きな論点は学歴偏重である。東大をはじめブランド大学の学歴貴族へ仲間入りすることが就職などを左右し、人生の勝者を意味するという学歴神話は今も広く信じられている。学歴を通じて所得階層が固定・再生産されることで、格差がより助長される。
ブランド大卒者で仕事の能力が劣る者は少なくなく、逆に知名度の低い大学卒業者や非大卒者にも第一級の人材はよく見かける。ではなぜ、本当の才能が正当に評価されず、学歴以外の評価や事後のやり直しがうまくいかないのか。筆者は労働市場における解雇規制が主因であると見ている。
(平成18年4月28日付日本経済新聞朝刊 経済教室 福井秀夫氏)

多くの日本企業は、こうしたことをふまえて、変化への対応力を高めることで企業を存続させ、変化や不確実性への対応力の高い人材を育てることを競争力戦略の中心に据えてきました。労働条件も、労働市場の需給関係や職種別の団体交渉ではなく、企業別の団体交渉が中心となって決められてきました。先生方のいらだちもわからないではないのですが、それが日本企業の競争力、ひいては日本経済の成長の原動力になってきたことも事実ですし、そう簡単に変えるわけにもいかないでしょう。労働市場も大混乱するでしょうし、企業の生産性もガタガタになるのではないかと思います。

*1:この新しい学歴差別は,生涯学習社会や少子化時代への大学の適応といった社会情勢に合致しているし,今の新卒採用を中心とした学歴差別と比べ,一定の経済合理性がある.