雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

引き際の美学

SONYのような終身雇用の会社で,何十年もかけてリーダーへと上り詰めたひとが「俺もう旬を過ぎたし」ってすぐに身を引くだろうか.米国の経営者みたいに,旬が過ぎたなりに次のポストを探せばいい世界とは訳が違うのだ.持ち回りで2年や4年ごとに社長の替わる会社もあるけど,そういうところは別の意味でリーダーシップがなかったり,いらなかったりするんだろうし.
出井氏がある時点までリーダーとして卓越していたことと,トップとしてそれほど成功しなかったことについては,他にも色々な分析ができる気がする.彼は技術の目利きではなかったけど,社内の資源配分とかマネジメントはできたから,他にTechnology Leadershipを持つひとがいる間は,うまく補完できていたのだろう.けれども彼自身は技術の目利きができなかったし,地味に技術の目利きを見極めるよりは,やれネットワーク効果とかプラットフォームとか,技術経営の衒学に拐かされた気がする.後付けの理屈としては面白いけど,イノベーション理論からイノベーションが産まれる訳ではないのだ.
日経の世界情報通信サミットで,退任間近の出井氏がしきりにiPodを褒めるのを耳にして,これを聞いたSONY社員はどう思うんだろうなー,いってることに一理あるけど食われた企業の経営者としての発言としてはどうよ,とか疑問に思った.いや僕だって評論家だけどさ,部下は持ってないし.

米国のウォーレン・ブランクというコンサルタントが、「リーダーシップは固有の能力から生じたり、継続的な状態として存在するものではない」という趣旨のことを言っている。世の中というのは何にでも慣性の法則が働くので、経営者として褒めそやされた人ほど自分にそういう「能力」が備わっていると思いがちなのかも知れないが、実際のリーダーシップとは「瞬間的な出来事」のようなものだ、というのがブランクの言い分だ。そして、「旬」の時期というのは本当に短い。自分がリーダーとしての「旬」を過ぎた、という予感がしたら、さっさとリタイアしてまたリーダーになれる新たなチャンスを探す、というのが正しいように思う。