雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

開発主義からの脱却に必要な歴史観の恢復とリスクの対称性

よく間違えられるが僕の筆名は南方・司(みなかた・つかさ)である.ところで前のエントリではid:essa氏のテクストを誤読していたようだ.「亡霊の克服」に歴史的視点が不可欠であるという指摘には全く同感だ.このところの喜劇的な振興政策の背景には,間違いなく歴史に対する軽視がある.
特に政策官庁で役人が歴史から切り離されてしまった背景はいくつかあって,最も大きな理由はローテーション人事である.キャリアは昔からローテーション人事だったが,ノンキャリアはひとつの部署に定着し生き字引のように政策の一貫性を墨守していたらしい.無謬性神話を守るために正史では成功とされてきたプロジェクトも,外史として失敗の経緯と教訓を口承していたのだ.
けれども数度の不祥事や,キャリアとノンキャリア,事務官と技官を選抜段階で分けること自体が実力主義に反するといった世論からの影響もあって,最近では事務官と技官の隔ては小さくなったし,キャリアもノンキャリアもローテーションするようになった.その結果,誰もが歴史も専門知識も持たず,2年以内に結果を出さねばというプレッシャーの中で政策に従事することになった.結果として業界との癒着は減ったかも知れないが,百戦錬磨の業界人と互角に渡り合うことも難しくなった.
一方で世間から指弾されても一向に不祥事の減らない一部の事業官庁で,ノンキャリアのローテーション人事が進まないのは,キャリアもノンキャリアもローテーションしてしまうと仕事が回らないことが明らかだからである.機能しているか否か分からなくても,粛々と計画通り予算を消化すればお咎めなしという点で,極端に多忙であるにせよ政策というのは気楽だなという気もする.
他にも公務員倫理法で民間との付き合いが減ったとか,行政手続法で根拠法を持たない行政指導を行えなくなったとか,そもそもばら撒ける予算額が財政難で小さくなっているとか諸々の要因があるし,それらは1990年代後半から2000年代にかけてボディーブローのように官庁の政策企画能力を削いできた訳だが,それを米国政府による日本政府の無力化へ向けた長期戦略と捉えるのは,陰謀論が過ぎるだろう.
ただ開発主義から脱却して新たな時代精神を樹立するには,歴史性の恢復と過去の成功体験からの決別が必要ではないか.新たな論理とは,目標への誘導から多様性の確保と創発の促進,昇進機会と終身雇用とのトレードオフの提供,生産者余剰ではなく消費者余剰の最大化,均質化から差異化,利潤再配分による確実性の担保から不確実性とリスク管理といったキーワードが鍵となる気がする. (そのうち細かく論じる)
90年代末から2000年代初頭にかけてのストックオプション税制・新興市場整備・会社法改正といった社会基盤整備や,未踏のようなユニークな個人やプロジェクトに対する補助制度はポスト開発主義の模索としての新しい流れの萌芽を感じさせたのだが,資本市場整備の結果が楽天ライブドアか,という落胆と反動もあるのかも知れない.とはいえ大プロの縮小再生産と比べれば,まだまだ試行錯誤の余地は山ほどある.
人材流動化による格差社会の出現とか,そもそも役人は役所の終身雇用という温室に篭って,民草だけ市場経済の荒波に揉まれよという発想がいけすかないし,自分は安定性を選好しながら,流動性が高いほうが経済の効率性が高いのだと嘯くのも随分と無責任な態度であって,これまでも本ブログで提案しているように,少なくとも政策を立案し遂行するレヴェルの役職については,そろそろ公募・任期制にしてもいい気がする.専門能力が云々というのであれば,国家公務員一種を戦前の高等文官試験のような国家資格として認めるのも悪くないだろう.
いずれにせよ,ポスト開発主義へと舵を切るためには,歴史を取り戻し,変化を恐れない気質の人間が制度改革に携わる必要がある.終身雇用に守られて能力に見合うほどは高くない待遇に甘んじる公務員の中には,使命感で私欲を捨てているひとも,安定を志向しているひとも色々なのだろう.けれどもリスクを取っているとは言い難い人々が,民草のリスクテイクを称揚し,社会を不確実な方向へと舵取りしていくことは,いずれにしてもモラルハザードではないか.

歴史とは時代精神に人々がどう向かいあったかという記録です。時代精神と個人はどんな時代においても齟齬があって、どの時代のどんな地位にいた人もその矛盾に直面し、それに苦しんで、それに立ち向かってきたわけです。その集積があるから時代精神が変化したのであって、自分たちが今生きているこの時代にも、自分たちには見えない所で同じような時代精神の変化が進行していて、それはやがて後世の歴史家によって記録されるはずです。
(略)
「亡霊の克服」には、歴史的視点が不可欠だと私は考えます。つまり、これを支えた技術者の「非論理的な部分」がどこからどのように成り立ってどのような役割を果たしてきたのかということです。

経済産業省は、「日の丸検索エンジン」について50億円を概算要求することを決めた。これは初年度だけの予算で、総額は300億円といわれる。これについて取材した記者が、経産省の担当者に「過去に第5世代コンピュータやシグマ計画が失敗したことをどう考えているか?」と質問したところ、驚いたことに「知らない」と答えたそうだ。