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『日露戦争 - 勝利のあとの誤算』

日露戦争 ―勝利のあとの誤算 文春新書
以前から漠然と戦前の日本が調子を外したのは日露戦争以降ではないかと考えていたのだが,その通りのタイトルの親書をみつけて早速手に取った.本書で扱っているのは日比谷焼打事件へ至る新聞報道の過熱,民衆を煽る新聞記事に対する政府の発行停止処分や戒厳令下での官憲の横暴,諸々の政策課題がその後の凱旋機運で雲消霧散したこと,それ以来,大逆事件など社会主義者への弾圧が強化されて海外メディアでは問題となったものの日本のマスコミは去勢されてしまったこと,そういった地ならしが治安維持法特別高等警察の発足へと繋がっていったことが描かれている.
当時の新聞記者が政治家への登龍門で,当選後も新聞記者・社会運動家として活躍する構図や,朝日新聞の池辺三山が二葉亭四迷夏目漱石を社員として雇い入れる経緯など,サイドストーリーも秀逸.徳富蘇峰が政府寄りの論陣を張る構図も日露戦争以来であったことなど,日露戦争が後の悲劇の伏線として重要であったことが分かる.
日本でもライブドア事件耐震偽装のような国策捜査と誘導される報道とか,ネット上での表現規制を巡る議論とか,このところ際立って言論が歪みはじめているなぁという実感があって,そういう違和感を感じているところに「美しい国」とかいわれた日には引きまくってしまうのだけれども,じゃあ日露戦争から何か教訓を得て,自分がどう生きるかみたいな話になると,まだ頭の整理が出来ていない.
いつの時代だって大衆に迎合する煽動家も,良心を保って火事場から追放されるインテリもいるのだ.何が生き様として格好いいかと,それが歴史の中でどういう位置づけになるかとは別の議論である.それなりの見識を保てば善導できるという話でもない.高踏的に突き放したところで時代の奔流に押し流されることは如何ともし難いにせよ,いずれ歴史家の裁きを受けることもあるのだろう.