雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

若き日の信条

土曜日は学部のゼミでお世話になった鈴木芳徳先生の最終講義に出た.「経済学と私―ケインズの方法的態度と経済学」と題し『若き日の信条』以降のケインズが限定合理性とか将来期待の概念を大きく取り入れた背景にヴィトゲンシュタインとの交遊や,ピエロ・スラッファの影響を推測する声もあり,この辺で近年欧州を中心に論文がいっぱい出ているといった話を先生の学究生活の想い出と絡めて語る機智に富んだ講義だった.
いつも機智に富んだ受け答えをする先生だったが,学部のゼミでは一般教養に限りなく近い内容しか出てこないので,実は先生がアカデミックな内容で主観的に語るのをみたのは初めてだった.学部生時代,もうちょっと研究室に入り浸る道もあったのではないかという気もするが後の祭りである.
先生は証券市場論の講義を持たれており,ゼミも金融論がテーマだったので,てっきり金融論がご専門と思い込んでいたのだが,もともとバックグラウンドは経済学説史で,その手法を用いて金融・証券分野の研究を進められていたそうだ.わたしは大学入学が決まって早々に仕事をはじめ,大学2年の終わりには前の職場に就職していたこともあって,ゼミの出席率は極めて悪かった.生意気にも大学の授業は内容が基本的過ぎるという印象を持ってもいた.
同級生たちは新聞や教科書を読んで「直接金融から間接金融へ」とか「日本に於けるVCの可能性」みたいなことを語るのだが,僕は自分のいた会社が上場するなり一瞬だけ帳簿上の百万長者になったり,一方で足元の会社は上場益を持て余して蛻の殻みたいになっていく様をみて,熱狂と陶酔の恐ろしさやマスコミの無知に絶望した.
ネットバブルの末期,所長に「今は何を買っても高値掴みしますから,市況が落ち着くまでMMFにでも預けておけばいいじゃないですか」と進言したら「君それは反則だよ.株価は成長を織り込んでついている.いま投資しなければ確実に成長しないが,投資すればリスクがあるとはいえ成長するかも知れない.だからこの株価がついている以上,何かに投資することは市場のルールなんだよ」と叱られた.実際いくつもの会社は高値掴みだったが,いくつかの会社がその後の会社の収益の柱となった.けれども楽天は市況が落ち込むのを待って投資し更に成功した.株価が急騰したとき1株あたりの純資産が単位株額面を下回ってはいけないということで分割できなかったのだが,このルールもマネックス証券が「無額面株式だから問題ない」と踏み潰した.*1分かったのは,最初にルールを破ることができる奴はインサイダーだということだ.ライブドアアウトサイダーだから刺されたが,似たような粉飾をやった日興コーディアル証券東京地検特捜部が踏み込んだという話は聞かない.
閑話休題.当時ぼくは日経デジタルマネーシステムのスタッフライターをしていて,卒論も「電子マネー発行体の収益構造」といった内容だった.ちょうどMondexやDigiCashが話題で,電子マネーというとシニョレッジなんて言葉もあり,錬金術に似た魅惑的な響きがあった.*2近々PASMOがはじまるが,Felicaシンガポールや香港の地下鉄で使われ始めた頃だ.何故かNTTに混じって日立のひとに連れられ英国スウィンドンで行われていたMondex実験を視察したのだが,スーパーのレジを定点観測していても,クレジットカードを使うひとはいてもMondexを使っているひとは皆無だった.けどMondexで払った英国ビールはうまかった.
なぜ電子マネーに興味を持ったかというと,中高時代は新聞部の政治少年で半ばその活動が祟って留年を繰り返して退学し,予備校でアルバイトしていると噂されていた学年主任の勧めで予備校に通って大検を取った.予備校には大学からも結構アルバイトが来ていて,なかなか面白かった.受験直前の正月に,貰ったお年玉を握り占めて代々木近辺を徘徊し,共産党の前の本屋でスティグリッツの『ミクロ経済学』を買ったのは,振り返ってみると受験生としてクレイジーな行動だった.ともかく英単語でも覚えておくべき書き入れ時に,僕は2つの交点を持つ需要供給曲線とか,どう考えても大学受験に出てこない勉強をしていたのだ.
そして案の定,全ての大学に落ちて浪人が決まったのだが,そこでも勉強そっちのけで,鈴木邦男先生の手引きでジャナ専のSゼミに潜っては早稲田界隈で学生と飲んでいた.ジャナ専といえば,浅田彰や出獄して間もない三沢知廉の出ていたシンポジウムは打ち上げが午後5時から始まって12時過ぎまで続いたのだが,2次回だか3次回の会費をSに借りてまで出て,最早シンポジウムの打ち上げでも何でもない早稲田的日常としての飲み会であって「酒と泪と男と女」をカラオケで熱唱して見も知らない早稲田の学生と意気投合するとか,妙な展開となっていった.
とうとう飲み過ぎて昏倒し救急車を呼ばれた.Sは「金まで借りて飲み潰れ,救急車を呼ばれるとは,河合塾は一体どんな教育をしているのか」と大声で呆れながらも学生にわたしを介抱させた.救急隊員から紙と鉛筆を渡され「お名前と電話番号は」と聞かれ,ちゃんと書いたら「病院はどこも忙しいから,あなたのように意識のあるひとを運べる先はありません」といわれてタクシーに放り込まれた.それから数年後,ロフトプラスワンでSに会った時に返そうとしたら「わたしも一端の文化人だし,学生に貸した金をいまさら返せとはいわない」という.それからまた数年後,たまたま風花で早朝まで飲んでいたらばったりSと会い,自宅が同じ世田谷方面ということで車に同乗した.そして「あの時借りたままだから」といって払おうとするお代を固辞した.
閑話休題.予備校生だったわたしは,せっせと受験勉強そっちのけで蓄えた経済学の知見を使っていろいろな質問を政治経済の先生にぶつけた.電子投票が間接民主制の限界を解決し,より理想的な政治体制を実現するのではないかという青臭い論戦に,或る政治学者は「コンピュータなんかハッカーが票を改竄するだろうし意味がないね」と鼻で笑った.別の経済学者は「思考実験としては面白いけれども,ちゃんと社会学,特に大衆社会論で提起されている諸問題について把握しておくといいんじゃないか」とアドバイスをくれて,フロムの『自由からの逃走』やリップマンの『世論』,ライヒの『ファシズムの大衆心理』を勧めてくれた.どの本も面白かったが,もともと中学のころ町沢静夫から精神分析に興味を持った僕は社会心理学に強い関心を持ち,夏休みかけて翻訳されているフロムの本はあらかた読み尽くしてしまった.
僕は現実を追認する政治学者より,抽象的な思考実験に付き合いつつ立論の綻びを指摘してくれた経済学部の先生にシンパシーを持った.そして,当時すでにRSA公開鍵暗号やディジキャッシュのブラインド署名について知っていたから,電子マネーを応用すれば安全な電子投票が実現できるだろうという見通しも持っていた.それで経済学部に入って電子マネーを勉強することは,そのための近道であるように感じた.
それから10年経って時代は想像より遙かに前に進んでいる.Felicaは1億枚以上も普及し,近々PASMOの開始で首都圏で大半の交通機関電子マネーで乗り降りできるようになる.一方でディジキャッシュは倒産し,MondexはMaster Cardに買収され,SETは普及しなかった.Phishing詐欺の横行などセキュリティはもはや数学や計算機科学ではなく認知科学の問題にすりかわりつつあるが,ひょっとしたら「コンピュータなんかハッカーが票を改竄するだろうし意味がないね」といった政治学者の方が慧眼であったのかも知れない.電子民主制も,スマートモブズで指摘しているようなエストラダ政権,盧武鉉政権の発足過程など,萌芽的な動きが数多くある一方で,ブッシュ政権発足時のフロリダ州での再集計や,既に試行された電子投票で疑われている開票結果の改竄によって数学的安全性だけでなくガバナンスや認知科学の面で解決すべき課題が山積していることが明らかになった.そして,そもそも投票というディシジョン・メーキングより,選択肢を磨き上げるポリシー・メーキングを電子化する動きとして,最近では総務省SNSをつくるなど,萌芽的な取り組みが色々と出てきている.
先生のケインズを巡る講義を聴きながら,僕はこの10年で,何か方法的態度に決定的な変容があっただろうかと振り返ったとき,僕の政治的野心がIT産業への関心へと転化した動機,即ち電子マネーの暗号理論を応用して安全な電子投票を実現しようという発想そのものが,厳しい現実によって否定されつつあること,この10年の実務経験を通じて,僕自身がもっとリアルな社会の矛盾や理論との隔たりを実感し,世界観を修正しつつあることに気がついた.
とはいえ技術による統治の現実性に対する懐疑的態度を裏付けするような経験を身につけたことが,必ずしも技術による統治の魅惑に幻惑されないことを保証するものではない.やはり美しい技術による統治には強烈な吸引力がある.こんなアンヴィヴァレントな感情を腹に,例えば昨今のGoogle論の一部として語られる世界政府の可能性みたいなものをどうやって捉え直すのだろうか,PICSYの可能性と限界について何を語り,どう行動すべきだろうか,たまたま流れ着いたIT産業の中で,どういった立ち位置を選んで何を主張・実装していくのかとか,30を前に諸々考え直さないといけない気がする.

*1:後にライブドア錬金術ともいわれる株式100分割を松本社長が批判したとき,端緒をつくったのは誰かと突っ込みたくなった.

*2:僕の卒論はシニョレッジを否定し,電子マネー設備の投資を回収するには顧客の合意に基づくデータ収集・分析結果の販売くらいしか儲からないだろうという穏当な内容だったと記憶している.実際,いくつかの電子マネー事業者について,相変わらずバランスシートが肥大化するばかりで収益好転の目処はみえていない