どうして悩むのかな
これまで不満を原動力に,どう自分の声を大きくするかを考えてきた訳だが,どうも声が大きくなったから,より不満の少ない社会に持って行けるかというと,どうもそうでもなさげだということに気づいて,そういう方向性の努力とか自分の成長に達成感を持てなくなったということがある.
利害から逆算してキレイゴトを組み立てる弁論術は,それなりに面白い世界ではあるが,手段であって目的にはなり得ない.もうちょっとクリエイティブな方向に頭を使わんとね.まあ,けどね,今更ちょっとしたサービスを流行らせたり,みたいなことをやりたい訳でもない.何を追求しても,ハネムーンとか高速道路の先は煮詰まっているのであって,そういった成熟を拒むならNEETや亡命者のような生き方しかないのだろうか.
そういえばLessigがチャンネルを切り替えて腐敗に着目するらしいけれど,学問的な成果が出るかはさておき,モダンで運動論と密接に絡んだ新しい政治学のようなものが出てくると面白そうだ.利害関係者の言説が大きな影響を与える背景には,賄賂のような分かりやすい腐敗だけでなく,知識社会に於ける知識獲得の動機付けとか,彼らの専門知識に対価が支払えるのが誰かとかいった問題が絡んでいる気がする.現場での議論は案外マトモなのに,一歩引いた視点で見るとやっぱり既得権を擁護するように物事が動いてしまう構造って,制度による問題解決は意外と難しいに違いない.