政策立案機能を行政府から立法府へ
昨日は政策関連のシンポジウムのあと懇親会へ.渋めの話題なのに非常に活況を呈していた.片隅では民主党が参議院選で躍進する前提で,衆参ねじれると重要法案が軒並みストップするのかなあという話で盛り上がる.つらつらと話しながら日本は小選挙区制の導入で二大政党制に近づいたらしいが,どうも機能していないのは結局どちらの党が勝っても政策を組み立てるのは同じ人々なんだよねえというところ.
いいとか悪いとかではなく彼らは先々の課題を考えて政策を組み立て,政治過程を通るように微調整していく訳だが,彼らにとっての論点は政治家の政策論争からは全くみえてこないし,投票を通じて彼らの議論の方向性に影響を与えられる気もしない.
我が国では不思議なことに法案作成も法律解釈も実質的に行政が持っていて,にも関わらず政治だけを1990年代の政治改革で米国流の二大政党制に近づけたものだから,制度としてちぐはぐになっている.行政・司法の機能は色濃く開発主義の色彩を残したまま,政治バランスだけが米国化しつつある.
この状況は公募制だとか政治任用の活用といった小手先の人事制度改革では変わらない.前に何度かこのblogでも書いたように,いくら省庁間連携のための新しい組織を内閣府や内閣官房の下にぶら下げても,各省大臣官房秘書課が人事権を握り続ける限り,省あって国なしの状況は変わらない.政権交代が起こっても官僚は入れ替わらないのだから,大衆の支持を失えば地位を失うという,リップマンが『幻の公衆』で喝破した民主主義の根幹を支える緊張感もない.風が吹いている間は,身を竦めていればいいのである.我が国に於ける官庁の年功序列システムは天皇制よりも堅牢で,第二次大戦に負けても壊れなかった.といっても起源はそう古くなくて,藩閥政治が綻んだ大正時代くらいではないかと推察するのだが,なにぶん勉強不足でよく分からない.
では具体的にどうすればいいか.まずは政策立案機能,特に法案の作成を実質的に各省から党と国会に移すことが先決だ.人事が最大の難問だが手法としては国鉄の分割民営化が参考になる.国鉄の分割民営化では国鉄の継承組織は国鉄清算事業団,JR各社は新しい法人として,従業員が自発的に異動を希望する仕組みをつくった.異動を希望しなければ清算事業団で冷や飯を食わされるからである.
同様に各省の本省を解体して国会の委員会スタッフと議員スタッフを充実させ,官僚には米国と同様に国会議員との接触を禁じる.官僚が引き続き政策に携わりたければ国会スタッフに転職して政治任用の機会を待ちつつ政策立案に携わり,現業部門の非管理職で構わなければ各省に残るのである.
政策立案機能の行政府から立法府への移行は選挙制度改革で小選挙区制を持ち出し,日本の政党政治を二大政党制に近づけた小沢氏の政治家としての花道としてこそ相応しい気もするが,最近の小沢氏をみていると自由主義者としての面影を感じることができない.こういった点について民主党から建設的な提案が出てこず,マニュフェストをみても旧竹下派的なバラマキ政治を想起させるスローガンばかり並んでいるのは,いささか気がかりではある.
やはり政策立案機能を通じて,各党とも官僚に足を向けられないのだろうか.政治主導は大いに結構だから,各党にはマスコミを意識したポピュリズム的な官僚叩きではなく,パワーバランスの変化を伴う本当の政治を演じて欲しいところ.
政治家だけでなくて、官僚機構も複数の選択肢から選べるようになっていたほうがいいんじゃないか、なんて思ったりする。そんなことできるわけないじゃんというのが正論なんだろうが、そのうちの少なくとも上のほうは、選挙のたびにごそっと入れ替わるぐらいの勢いでいいんじゃないか。