雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

23歳だった

最近ちょっぴり忙しい.まあ,ちょっとぐらい忙しい方が普通だし,本当に忙しいひとからみればユルいことこの上ないのだが.
何というか不慣れな仕事が多い.ルーティン化した仕事には飽きてしまうんで,それなりのsomething newがあるのはまあいいのだが,あんまりcreativeでもなくて,そのギョーカイのルールみたいのを学ばなきゃならん仕事が多くって,それぞれの領域にヌシみたいなひとがいると,俺がこの世界に足を踏み入れても埋もれてしまうだけじゃないかとか不安になる.見回すとひとまわり上のひとさえいなくて,二回りとか三回り上の人々から色々と教わる訳だ.なんか前職以上に若造してるよな,と.
よく分かったのは政治的な世界というのは,まあメタ的には結局のところ政治的なんだけど,ベタには手続きに従って粛々と民主的に回っているんだろうな,ということだ.手続きに通じていればゴリ押ししなくとも名を捨てて実を取ることができる.標準化も政策形成も国会運営も,そういうところは似ているんじゃないかね,知らないけど.
技術渉外の仕事に足を踏み入れるとき,二回り上の方から「そういう腹芸を要する仕事は40過ぎてからやるといいよ」っていわれた.最近そのひとに「どうにか勤まってるじゃないですか」といったら「君その仕事もう30年やるの?」と聞かれて詰まった.まあ何というか,上がりとしては悪くない,ちょっとした袋小路という奴か.
こういう世界に埋もれる気はないよ,と思った瞬間に想起すること.何年か前に亡くなった新宿ゴールデン街のナベサンが,カウンターの内側に来たのは23歳で,僕がその話をカウンターの外側で聞いたのが23歳だった.彼もカウンターの内側に入った時は,ゴールデン街にずーっといる気なんてなかったらしい.
同じ23歳のとき,いまはエピローグという店に変わったさつきに,どっかで編集か何かをやってるおばちゃんが流しのギター弾きを呼んできて,彼が流しのギター弾きになったのも23歳で,時は昭和25年だったらしい.江戸川乱歩の投宿するホテルに呼ばれてギターを弾かされたのが自慢らしく,老眼鏡で苦労して譜面を読んでいる.
流しのギターというのはカラオケと違って歌いぶりに合わせてリズムを変えてくれるんで,ギターのリズムに合わせようとすると却って互いにあわなくって苦労する.そうか若いうちは人生って流転しているようだけど,気づくと定常状態で均衡するんかなあ,とか振り返って思う.
結婚して,子供ができて,仕事で飲むことが増えて,気づくとあまりひとりで飲まなくなった.たまにひとりで飲めるのは出張で地方都市に行った時だ.小樽とか,歓楽街がゴールデン街っぽくて気に入った.昭和の息づかいを感じると安心する.しみったれているが,木造モルタル地震がくれば真っ先につぶれそうな店で,静かに安酒を傾けたい.湿った空気で2階建てくらいの木造建築が並ぶ細道を,無数の傾いたネオンを掻き分けて歩くのがいい.
バーのカウンターで隣に座っているひとと議論とか殴り合いの喧嘩になるような世界は減ったのかも知れないが,議論の中身だけならトラバとかブクマの世界の方が殺伐としているかも知れない.けれどもブログとかSNSでの議論は,やはり夜な夜な集まって訳もなく気炎を上げるのとは別の世界だ.
論理と雰囲気とは別であって,世の中を動かしている勢いとか繋がりのようなものって,ブログ的な世界では何故か可視化されない.SNSのリンクとも違う.やっぱり,そういう生権力的な非論理的実世界と,それが影を色濃く落としているマスメディアに対するアンチテーゼとしてブログ言論とかが成り立っているところを感じる.
けれどもそれは,影響力を持たないことと引き替えに得た束の間の非武装地帯なのであって,この言論が世界と噛み合い始めた途端,楽園追放の物語が始まるのだろうか.フラットな世界に居続けるにはきっと,先端を走り続けるしかないのだ.そしてそれは,社会からの逃走でもある.けだし先端を走り続けることによって楽園に居続ける行為そのものが社会の一部を形成し,周囲に影響を与え続けることもまた事実ではないか.