雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

進路の悩み

知ってはいたが90年代以降の大学院重点化政策によって博士が量産され、教員のポストが足りず半数近くが失業しているという話。いろいろと考えさせられたのだが、ここ半年くらい悩んでいた自分が博士を目指すべきか問題については仕事上のキャリアを捨ててまで入院する必要もないかなと。
あと自分があちこちの大学で非常勤講師とかしていることについて、箔がつく気がしたり、他人に教えることも勉強になるよねと引き受けていたのだが、ノラ博士が溢れているご時世に定職を持った人間が非常勤でコマを持つというのは、ひいては若者を抱えなくなった大学経営に荷担していることに気づかされたり。産学連携の議論について、もうちょっと先方の事情も考えながら、どこかにしわ寄せがいかないスキームを考えた方がいいのかも。
著者の指摘するように博士がみんな教員を目指すのではなく、社会人として余裕ができてから博士を取る人々が増えたり、彼らが学術的知見を自然と社会に還元するような社会への移行を図るべきなのだろう。欧米でDr. Fooと呼ばれるように戦前は誰某博士といっていたが、いまどき名刺に博士 (×学)と入れるか否かについて論議があったり。大学院重点化って、学位をコモディティ化する戦後民主主義の総決算だった、訳ないか。
社会の仕組みに好奇心を持つ、もっと深く知って周囲と議論する、知見に基づいて社会を変える、働きかけた結果が自分の期待した方向通りだったかを確認する、というPDCAサイクルは、もちろん学界にいてできるひともいるのだろうが、僕は産業界にいて官界や学界との関係性を持ちながらやった方がパフォーマンスを出せる気がしてきた。機会は希少性に対して与えられるのだから、自分のやり方で場数を踏めるのであれば、その方が早く目的を達成できそうな気がする。ネット時代の知の在り方はこれから形式化されていくのだろうし、日本に於ける大学の行き詰まりは、何かの始まりに過ぎないのではないか。