管理職相当は解雇の金銭的補償を認めては
たまたま冨山さんの話はいちど聞いたことがあって、その時もカネボウの現場の化粧員販売員が如何に優秀で、会社に対するロイヤルティが高いかを話していらっしゃった。継続的雇用による熟練が必要なのは潰しのきかない現場の労働力で、ホワイトカラーなんて本来は潰しがきいて時々ローテーションしないとガバナンス上もまずい訳だが、実際にはホワイトカラーの雇用を維持するために現場の雇用が溶解している訳で、それって本末転倒だよねーって。そういうことが『会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」』にも書かれていた訳だが全く同感だ。
ホワエグの議論は残業代ゼロ法案とレッテルを貼られて流れてしまったが、管理職相当、例えば年収800万円以上とかは裁量労働で残業代はなくして、一定のルールに基づいて解雇の金銭的補償も認め、その代わりに兼業許可を義務化すべきではないか。それだけで若手の閉塞感はだいぶ和らぐんじゃないかな。みんな報酬について語るようになってしまったのはきっと経済学に洗脳されちゃっただけじゃなくて、昔のように仕事を通じて優秀な人材を報いることが難しくなってしまったからというのもありそう。
全ての会社がそうなれっていうのでなくとも、そういう企業経営もあっていいだろうし、まあ実際はあるけれども、今だと一律に解雇権濫用法理で引っかかって訴えられれば負けまっせ、という状況な訳で。実際はそういう会社ってクビになった社員のエンプロイアビリティが高くて、すぐ再就職できるので困らなかったり、前の職場を訴えたりすると却って転職が難しくなるんじゃないかと心配して泣き寝入りするんだろうが。
だいたい役人でも大企業の社員でも、自分の身を守るために無駄な仕事をつくったり取るべきリスクを周囲に押しつけるような行動が多過ぎ。人口構成が頭でっかちになった途端、出世のペースが遅くなったり組織が煮詰まってくるのとか、どうかと思う。管理職になった途端いつ解雇されるか分からないということになれば、リスク回避的な奴は手前の立場に留まろうとするだろうし、出世したがる奴が減って、上に上がった途端いつでも外せるようになる訳で、適切な抜擢を通じて士気を高めることができる。どっちにしても、ホワイトカラーありあまる智恵は、井戸の中での足の引っ張り合いではなく、自分を磨いたり社会に役立つ方向で使われる方向でインセンティブが働くべきだ。
日本は不思議な国で、人材の流動化とかワークライフバランスを企業に押しつけようという人々が、身分を保障されて私生活を犠牲にしていたりする。まあ今日の現場労働力の雇用が溶解するきっかけとなった「新時代の日本的経営」を日経連で取りまとめた連中にしたって、明らかに彼らがいうところの「長期蓄積能力活用型グループ」なんだろうなあ。
『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)』に出てくる人事部の連中とかもそうだけど、みんな自分に甘いんだよ。それは人間の本性だから責めたって仕方ない。だからガバナンスの仕組みをつくらなきゃいけない。まぁ外形指標で管理した途端、その外形指標に対して現実とか目的を無視した最適化を行うアホが出てきたりメタゲームに出口はなかったりするのだが。
米国の1980年代とかがそうだったように、上が糞詰まって社内昇進が難しくなるとキャリアパスはjob hopでしかつくれなくなる。次々と新たな居場所をみつけるhigh flyerと、緩やかにキャリアを上がっていくmid flyerと、一ヶ所に留まり続けるlow flyerみたいな。このままだと、そうなるのかなあ。それはいいことなんだろうか。
よく解雇法制の整備という議論に対しては経営者寄りとの批判があるが、今のままでは社会的弱者を蹴落として、社会的強者の既得権を保護している訳で、これはどうかと思う。確かに企業の中核的人材は長期雇用する必要があるのだろうが、であればこそ、別に法律で解雇を認めたところで必要な人材は企業が手放さないだろうから影響はないはずだ。解雇法制の話が前に進まないのは結局のところ、既得権益層ばかりが意思決定に参加していただけではないか。日本には充分な規模の労働市場がないとかいわれるけれども、それこそ鶏と卵じゃないか。
じゃあ、それをどこで何のために主張して、どうやって現実を変えていくの?といわれると今のところ手詰まりだが、そういう問題意識を常に持っていれば、どこかで何かしらの機会が見つかるかも知れないし。このままの状況が長続きするようには見えないしね。
そうそう、SDの連載が更新されました。
第44回 サービスロボットや移民受け入れは人口減少を補う決め手になるか―少子高齢化の痛みをチャラにできる銀の弾丸はない
http://d.hatena.ne.jp/software_design/20071112