雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ロスジェネは誰と闘うのか

僕は就職氷河期時代ど真ん中の正規社員だ。学生の頃から請われて正社員になり、ふらふら他の会社も手伝いつつ5年前に今の会社へ転職した。中学で留年して高校も中退したし、理屈が達者で気配りは乏しい方だから、NEETのこととか他人事とは思えない。周囲で就職に苦労した奴を結構みているし、最近の新卒採用の過熱ぶりに対しては強い違和感を覚える。
けれども僕は何のために誰と闘うのか。例えば経団連企業の経営者たちか。彼らだって世界中の競合相手と闘っているのである。例えば厚生労働省の役人か。彼らだって米国や産業界からの圧力に抗して労働者の権利を守るために闘っているのである。
そもそも同世代だからといって、後ろから刺される覚悟までして共闘したくないぞ。だいたい誰と闘って、何をどうしようというのか。共闘そのものが自己目的化している無責任って、彼が敵と公言する団塊世代の生き写しじゃないか。

同世代でも、正規雇用は敵。団塊世代はもっと敵。ですかね。
(略)
正規社員層は現状をあるがままに受け入れ、後ろから刺されるかも知れないという覚悟のまま、それでも非正規労働層のために共闘し、ついでに正規労働層のために共闘するべきなのです。
正規社員層は、非正規社員層と共闘しろ!!

だいたい正規社員は闘う理由なんてないのである。今だって守られているし、闘えば会社の庇護を失うかも知れないのだから。そもそも正規社員層とか非正規労働層とか一括りに上から見下ろして随分と偉そうじゃないか。何故「共闘しろ!!」とか命令されなきゃならないのか。しかも何とどう闘うか、そうすれば世の中がどう良くなるかとか、全く展望がないのである。
いま格差があってそれが理不尽だということ、非正規労働層からの搾取のメカニズムを赤木氏が広く伝えたことは評価したい。僕だって日本企業がやっている終身雇用幻想の維持と、そのための非正規雇用層の拡大は、不平等で先のない行動であるように感じる。だから日本企業に身を置く気がしないのだ。
マクロ的には団塊世代の雇用を守るためにロスジェネが犠牲になり、団塊世代の引退に備えて今の採用加熱がある。けれども団塊世代は敵か。じゃあ団塊世代の誰が敵なのか。団塊世代の労働者は昔からの約束を履行されているだけで、経営者は約束を守るために辻褄を合わせているだけだ。そして約束を守らせているのは経営者の裁量ではなく法規制である。
別に丸の内の高層ビルで団塊オヤジが豪華な椅子に座って「ロスジェネを犠牲にして、団塊世代を守ろうぜ」とか決めている訳じゃない。彼らが団塊世代を守っているとすれば、もっと消極的に法令遵守を意識してのことだろう。
思うに「闘え!」という連中を信用してはいけない。誰と何のために闘い、そして何を得られるのか彼らは一度でも明らかにしただろうか。矛盾は弱者に皺寄せされる、それは一面で真実である。けれども弱者が立ち上がって皺を管理職や経営者に押し返したところで、問題が解決する訳ではない。まずは結果的に彼らに皺寄せされた問題そのものは依然として残っているのである。
もちろん弱者として対案を示す前に、強者からの矛盾の皺寄せに対して断固拒否を示すことの意義はある。けれどもそれは典型的な階級闘争であって、階級間の共闘を期待しては甘えではないか。仮に階級間の連帯が成立するとすれば、それは共闘に於いてではなく、弱者に問題を皺寄せしている現在の部分均衡解から、もっと効率的な最適解への移行を模索する営為に於いてではないだろうか。そういった筋道でも立てていかない限り、管理職や経営者を動かすことはできない。だいたい成果主義の導入にしても、経営者は給与ほどの結果を出せない団塊世代に手を焼いているのであって、コストパフォーマンスの高い若者をもっとうまく使えるのであれば、それに飛びつかないはずがないではないか。
これは我々が団塊世代の歴史から学ぶべきことだが、共闘を自己目的化してはいけない。本当に社会を変えたいなら、もっとマキャベリストに徹すべきだ。後ろから刺されることを甘受せよといって、正規社員層と共闘できるという考えがあるとすれば甘すぎる。誰も自分と利害の対立する奴のベキ論と付き合う義理などないのである。多くの人を動かそうとするなら、まず共通の利害と当面の目標を設定しなければならない。共闘が彼らにリスクを上回るメリットがあることを示さない限り、大半の正規社員層は見向きもしないだろう。手前勝手な「業」じゃ人々を動員できないのだ。
そういった地道な立論を行わず世代間対立や階層間対立を煽る言辞に終始するならば、結局のところ自分の本や名を売るためのパフォーマティヴな言辞に過ぎないのではないかと疑う。本気で世の中を変えようとするならば、最初は社会の在り方に対する異議申し立ても重要だけれども、支持者の裾野を広げて次のステップに進むには、もっと現実的なビジョンやロードマップを示すべきだ。その過程で善意で向かい合ったって世の中ってヤヤコシイことに気付けるだろう。そこで初めて赤木氏は、いま仮想的と定義している団塊世代や大手企業の経営者と同じ議論の土俵に上がることができるのではないか。