雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

[フィルタリング] 10才の誕生日を過ぎるまでは

フィルタリングについて立論するに当たって教育関係者の意見も読んでみようと紀伊国屋で探したのだが、なかなかいい本がみつからない。ゲーム脳系のトンデモ本は勘弁だし、もうちょっとコンピュータに対して充分に理解のある先生による、教育現場の実感に即した本がないかなと探していたら本書をみつけた。
本書は日本のコンピュータ教育に於けるパイオニアのひとりでアラン・ケイとも親交を持つ著者が、自身の教育経験も踏まえて子供がPCやネットに没入することの危険性を説く。PCやネットを従来型の授業の教材として使うのではなく子供たちを触発して潜在能力を引き出そうとする姿勢など共感できる点が多い。
その著者が一方で子供の頭が柔らかいうちにネットを通じたコミュニケーションから対人関係を学ぶとトラブルが起きやすいと警告する。幼少期に対人コミュニケーションを学ぶ場合、記号としての言葉だけでなく、表情や態度など様々なフィードバックを受けて段々と距離感を体得するが、ネットでは言葉の応報だけが行き来するため物事がエスカレートしやすい。例えば長崎小6女子刺殺事件も、ネットでの言葉の応報が最悪の結果を招いたのではないかと推察する。
普通の子がキレたことについて、著者が報告書で読んだ通り本当に普段の前触れがなかったのか、教師や学校の管理責任に及ぶことを避けるためにそういった書きぶりをしたのか分からないが「ネットの向こうに人間がいるからこそ怖い」という指摘は、先日の八戸女子高生殺害事件とも通ずる。
その他にも教育現場でのPCやネットを使った教育で生じた様々な問題を軽妙に紹介しつつ、様々な理論を当てはめて分析する筆致には考えさせられた。何もかも検索エンジン任せで却って考えさせる教育が非常に難しくなっていることは大きな問題だ。子供が情報の収集ばかりに夢中になり、真偽を確かめる思考力が身につかないのだ。
もともとフィルタリングをどうするかという観点で本書を読み始めたのだが、著者は10歳頃までの感受性期に身体感覚を獲得させることの重要性を説くだけで、思春期以降のネット利用については深く論じていない。これは彼が長らく小学校教師だったからか。中学高校の教師にとって悩ましいことがあるとすれば、思春期までに身体感覚としての人間関係を体得している子もいれば、そうでない子もいるという環境の中で、どう子供たちのIT利用に干渉すべきなのかという点だろうか。
我が家では既に6歳の長男はプレイステーション3GoogleYoutubeを使いこなし、時々僕のPCを借りてSecond Lifeで遊んでいるが、自分の部屋も自分のPCも持っていない。そろそろPCは買い与えることも考えていたのだが、しばらくネット利用については目の届くところに限定した方が良さそうだ。
改めてフィルタリングに問題があると感じたのは、それ自体が親として子供を信じていないことを分かりやすく可視化してしまうだけでなく、悪いサイトにアクセスさせないということは有害コンテンツに対する情報リテラシー教育を施す機会も得られず、そうやって無菌室で育った脆弱な子を18歳になった途端に野放しにすることこそ極めて危険ではないかということだ。
中学生からはブラウジングとメールを監視していると伝えた上で、自由に携帯もネットも使わせて、まずい使い方をみつける度に対話の機会をつくった方が良いのではないか。子供が何をやっているか分からないから官主導のキャリア任せでフィルタリングして欲しいという親に、フィルタリングという道具を与えて安心させることこそが何よりも危険な気がする。

ITを与える保護者と先生のための3箇条

  • 10歳の誕生日を過ぎるまではネットは与えないで
  • 10歳の誕生日を過ぎるまではPCより、五感と身体感覚を優先させて
  • 10歳の誕生日を過ぎるまでは人工より、自然を優先させて