雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

『乳と卵』読了

直木賞を獲った『私の男』は決まる前にツタヤで買って読んでいた。『乳と卵』は例によって今号の文藝春秋で読んだが、なんか不思議な作風。いよいよ文壇でも同世代が活躍するようになり、自分が仕事に埋没して日々感受性を失っていることを書き手でありたい立場からどう考えるべきだろうかとか悩んだり焦ることもある。というか芥川賞は自分より年下の世代の女性が獲ることが続き、繊細だけど物足りないと感じていたのが、前回から企んだ厚みのある作品が選ばれるようになったのは喜ばしいことだ。
前の『アサッテの人』はたまたま芥川賞授賞式の三次会で文壇バーに居合わせて、隣の隣の席で拝見する僥倖に巡り会ったのに、該当号の文藝春秋を買っていたにも関わらず、肝心の作品を読み終えておらず大した話はできなかった。中吊り広告の通りタンクトップ姿の諏訪哲史さんは少しの間だけカウンターで僕の隣の隣の席にいたが、柄谷行人を見つけると「光栄ですー」とかいってテーブル席に移っていったのだった。
僕は生々しい人間らしさのようなものを受け止め難いし、感じても逃げ出したくなってしまうし、人間の仕草とかを細かく観察して心に留めたりする癖もないので自分は小説家には向かない気がする。いまどき純文学ってカテゴリーが本当にあるのかなんて分からないけれども、いつから純文学ってああいう風に繊細な言葉を紡ぐ何かとなったんだろう、とか不思議に思うこともある。
受賞者インタビュー「家には本が一冊もなかった」を読むと、彼女の書き手デビューはブログ執筆も大きなきっかけとなっているようだ。彼女のブログである「純粋悲性批判」を読むと活動報告ばかりで、あまりブログっぽくない気もするのだが、もともと歌手活動の広報的な意味合いが強いようだし、前からこの調子なのかも知れない。