雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

文壇らしき喧騒の片隅にて

昨日は風花で飲んでいたら芥川賞受賞式の三次会御一行がやってきた。というか来ると知っていたので立ち寄ったのだし、前日には『乳と卵』を読み終えiTMSで『頭の中と世界の結婚』を買い求め、夜中の11時過ぎに扉を開けてガランとした店内を見渡し「あら珍しい。これから団体さんがいらっしゃるので隅の方へ」と案内され、「あぁ、間に合った」とか思ったのは内緒だ。
実は2週間ほど前にid:HiromitsuTakagiを無理に風花へ連れてきたとき、女主人から風花の閑古鳥を揶揄して文壇の終焉を解く「選択」の記事を読まされ、「飲みにきたときも名乗らず、匿名記事で、こんな書き方をするなんて酷い」と彼女は立腹気味だったのだが、「2月22日の授賞式のあと、関係者が店にやってくるが云々」と書かれていることに「これは新手の営業だろうか」と訝りつつ、その日付をすかさず予定表に書き込んだのだった。
諏訪哲人の授賞式の時にたまたま居合わせて賑やかだったし、その号の文芸春秋は鞄に入っていたのに『アサッテの人』を読み終えておらず、微妙に話題についていけないまま話を合わせて、できれば今度はちゃんと作品を読み終えて話についていける状態で立ち会ってみたいと企んでいたのである。今回は予習も虚しく「さすが歌ってる方だけあって、声が通りますね」とか、とりとめもなく呟くだけだったんだが。
カウンターの片隅にいたせいで対角に当たる彼女の座るテーブル席の様子はあまりみえなかったが、曲をへヴィーループしていたせいもあって、よく通るリズミカルな大阪弁は簡単に識別できた。歌のテイストから不思議ちゃんを妄想していたが、しっかり仕切って挨拶し、かなり周囲にも気配りしているのをみて、あの気配りはホステス時代からの癖かも知れないけれども、ややこしそうな文壇関係者であろう取り巻きに揉みくちゃにされながら営業モードで場を持たせているのは、なかなか大変そうだなと、自分の野次馬ぶりは棚に上げて厭になった。
ああやって賞を取った作家のうち何割が作品を書き続けるのだろうか。それはとても選ばれて名誉あることではあるけれども、そういった書き手としての生活って幸せなのだろうか、けれども彼女からは書こうが歌おうが水商売しようが生き抜けそうな強かさを感じて、それはそれで心強いけれども、あの世慣れぶりと歌詞とか作中にある緑子の痛々しい若さを描ける鋭敏な感性とが、彼女の内側でどのように同居しているのかとか考えさせられた。
向こうでしゃべっている彼女が業界向けの仮面で作中では無防備な感受性を吐露しているのか、あの世慣れしている彼女が本物で作家だから諸々書き分けることができるのか、否、そもそもどっちが本物とかいう問題設定そのものが間違えていて、そもそも人間って光を当てる向きによって雲母のように輝きを変えるのだから、作品も歌も立ち居振る舞いも全て本物の彼女であって、その中では僕は歌が一番好きだな、小説が世に出て歌が売れたメディアミックスなアーティストっていたっけ、と考えてみたが自分の乏しい知識には引っかからない。
いつも風花にいくと夜中の2時ごろまで飲んでタクシーで帰るのだが、昨日はあまり話の輪に入れず、隣から話しかけてくる初老の出版社勤務も僕に話しかけてくることが「どちらの大学ですか」とか、おいおい僕が生まれる前から出版社で働いて若造に聞いてくることが大学名しかないのかよとか激しく落ち込み、それからも酔った勢いでダラダラよく分からないことを問わず語られて、女主人から「今日は端に押し込めちゃってごめんなさいねー。これは次にでも埋め合わせしますから」とか恐縮されつつ珍しく電車のある時間に席を立った。