雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

自分探しの果てに

前に小飼さんのエントリトラバを貼ったものの本書は読んじゃいなかった。自分探しがなかなか終わらないのって結局のところ終わりなき承認欲求と現実とのギャップがあるからかなぁ。悩み続けながら生きるのが悪いとは思わないんですよ。時にインドを旅したり不意に留学したっていいじゃん。若いうちに済ませておいた方が楽だけど、ソコソコの年齢だって自由にそうできるってコトは裏を返せば誰からも頼られていない訳で、背負うものが増えれば自分探しなんてできなくなるんだよ。僕の場合は妻子を持って住宅ローンを抱えて諸々観念したけど。暇だったらもっと自分探しを続けてたんじゃないかな。
誰からも受け入れられる訳ではない自分、好きな相手から愛されるとは限らない自分、やらなきゃならないことが思うように進まない自分と何とか折り合いをつけながら、敷居の内側で藻掻きながら天を仰ぐ。目標って不自由だから持てるんだし、理想とのギャップを意識するからベクトルを持てるのだし、そこはもう向かうのであって捜す訳じゃないよね。たぶん探してるってことはベクトルが定まっていない訳で、それは何か押しつけられない割に微妙にしっくりこない今の状況がある中で、自由という牢獄の中で宙ぶらりんのまま誰から認められる訳でもなく、このちっぽけな自分って何だろうとか考えさせられることはある。
自分探しが問題なのか、それが止まらないことが問題なのか、自分探しが止まらないことで人生設計がままならないことが問題なのか、たぶん最後なんだろうけれども、じゃあ自分探しが止まらないから人生設計がままならないのか、人生設計がままならないから自分探しが止まらないのか意外と分からないものだな、とも思う。「探すな決めろ」と突き放したところで、決められる落とし所がないから宙ぶらりんになってるんじゃないかな。そして社会的に宙ぶらりんになっていない限り、実はメンタリティ的に自分探しが止まらなくたって誰も心配しないし社会的には自分探ししているとは見倣されないんだよね。
誰もが前向きに自分から人生を歩める訳じゃないし、居場所を与えられていないひとに決めろと責めるのは詮無いのであって、いっそ居場所をつくってあげたり、お見合いとか社会的な縛りを与えちゃうようなお節介が意外と求められているんじゃないかという気もする。人生からどんどん無難なデフォルトの選択肢が消えていることを、自分探しを促し食い物にする社会が隠蔽していないだろうか。そうやって宙ぶらりんの暇人が増えるのは社会にとってリスクが大きい。そのぽっかり埋まった穴を埋めてくれるのがテロやカルトとなる場合も少なからずある訳で。村社会のような公共性の押しつけが消えた後、もちろん自由で華やかになった世界もいっぱいあるけれど、エアポケットのように忘れられた吹き溜まりもあるのだろう。誰のせいと責めても詮無いが、どうにかする必要はある。

「引きこもり」となる原因は「就職や就労での挫折」が最多で、30〜34歳の年齢層が最も多いことが東京都が行った実態調査で分かった。本人の心理や意識にも踏み込んだ引きこもりの公的な調査は全国初。不登校など学校時代の体験をきっかけとし、若年層が多いとされる従来の見方とは異なる傾向が浮かんだ。