雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

31歳になった

30代で最初の1年は、あっという間だった。この調子で進むと30代なんて一瞬で終わってしまいそうで怖い。目指した政策屋としては漸く脂が乗ってきたというか、現実的な提案をつくって通せるようになったし、漫然と環境を受け入れるのではなく自分から諸々仕掛けられるようにもなった。技術用語をできるだけ廃して普通の言葉で説明することも覚えた。
とはいえ30歳の1年は決められたお題に対して役割を果たす仕事の進め方だったので、そこのところを今年はもっと前向きに自分から問題設定するつもりだ。携帯フィルタリング原則化の件以降、できるだけ自分の立場をオープンにブログで語り、フィードバックを受けて頻繁に補正するよう心掛けたい。
今年から実名で活動することを選んだが、自分の関心と仕事とが意図して重なり合っている中で、読者に対しては会社の立場でポジショントークしている訳ではないことを、会社に対しては機密保持をはじめとした様々な内規を守っていることを説明する必要は増している。じゃあ僕が何のためにブログを書き、それが業務とどのような相乗効果を生んでいるのか、どこで線を引いてけじめをつけているかについて、徐々に明らかにしていきたい。
4Gモバイルへの周波数割り当ての議論を疑い深く眺めていた2001年頃、平場での議論に諸々矛盾を感じていたのだが、それから数年経って、おかしなことが議論されたり報告書に盛り込まれても、実際にはそうならないところをみて少しは安心した。たまたま疑問を感じていたからこそ、その辺の事情を分かっているひとと知り合うこともできた。表裏を理解して見直すと、だいたい物事の多くは理屈が則って運用さえれていることが分かる。
実は本当に自分が政策論に踏み込んでいったことが正解だったか、ずっとやっていたオープンソース系の志を曲げて、外資系の商用ソフト企業の会社に行った選択が正しかったかという点については分からない。ただ今ちょうど城山三郎の書いた渋沢栄一の評伝を読んでいて、彼も僕が転職を決めたのと同じ25歳のときに、もともと尊皇攘夷で活動していたにも関わらず、一橋家の家来となり、仕事を通じて視野を広げていき、非常に柔軟な物事の捉え方をするようになっていくことは読んでいて非常に共感を持った。彼が明治政府と太いパイプを持っていたにも関わらず政界・官界に進まず、実業界を歩む経緯を読むのはこれからなのだが、とても興味がある。
さーて、今年も暴れるぞー。