何故SONYの経営はiPodを創れなかったか
中嶋さんだってNetDocsが換骨奪胎させられて悔しい思いをしたことがある訳で,そういう大企業の難しさは分かるんじゃないかなあ。iPodに対してOpenMGへの拘泥こそ敗因というのはSONYでは通説のようだし,使い勝手のいい同期ソフトを最後まで開発できなかったことは確かに大きな失点だったが,問題はもっと根深いのではないか。
エンジニアはユーザー・インターフェース、ユーザー・エクスペリエンスを向上させるためにこのOpenMGは最悪だと分かっていながらも、それをソニーという企業ではやらざるを得なかった。もしこれをやらなくていい、やるべきではないという決断をできるのは社長や会長であって、エンジニアではないです。
結局のところMPManで先行した韓国にしても、少し遅れて追いかけた日本にしてもMP3プレーヤの本質を見誤っていた。どのMP3ブレーヤも磁気テーブや光ディスクをフラッシュメモリに置き換えただけで聞き方そのものは変えなかった。媒体に固執したからメモリースティック vs. SDみたいな争いが起きたけれども,みんなVHS vs. β、LD vs. VHD,MD vs. DCCの延長線上でみていて,媒体を押さえること = 勝利と考えていたんだ。だからリムーバブルなフラッシュメモリでDRMを頑張るという方向へ行った。
iPodのポイントは複雑なDRMを載せなかったことではなく,プレーヤからMacへの逆流を制限したことだ。これはiPodがMacの周辺機器だと割り切ったAppleだからできたことで,PS3やAcTVilaでPCからの脱却を試みていた日本の家電メーカーに,同じような割り切りはできただろうか。当時SONYはHiMDの研究に投資していたし,HDDでジュークボックスごと持ち歩くという発想にはいかなかっただろう。SONYはHDDを自社生産していないし,HDDはプレーヤの原価に占める割合が高すぎる。
テレビに2系統もチューナー載せるならHDDも載せればいいと思うのは自然な発想だが,これは東芝と日立しかやっていない。HDDを自社生産しているのが両社だからである。ワーナーがBDに鞍替えすれば東芝が諦めて流れが決まると踏んだのも,SONYは光ディスクの他に記録メディアが何もないので後に引けないが,東芝はフラッシュメモリやHDDも持っているので本社の優先順位が違うと考えたのだろう。コストが上がり筐体が大きくなること承知で無線LANを載せたPSPにまで光学式ドライブを載せた会社が,得意の音楽プレーヤでiPodのように割り切ったコンセプトを組み立てられただろうか。
そういう意味でもOpenMGの話は非常に示唆的で,即ちDRMを使わざるを得ずUser Experienceを損ねた点が問題の本質ではなくて,以前と比べれば柔軟になったとはいえ,基本的に社内にある技術を使わねばならず,独裁者がいないのでコンセプトを絞り込みにくく,高コストの技術を社外から調達するには勇気がいることが,技術者の発想を制約している気がする。国内AVメーカー間で小競り合いしているうちはどっちもどっちだったが,デジタル化が進んで別の理屈で動くライバルが増えてくると,この足かせはボディーブローのように効いてくるのではないか。