雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

やっぱ削除じゃないだろ,と考えさせられる1冊

僕の世代って高校時代に騒がれたのはブルセラ・ポケベルで,ケータイは大学に入ってからだ。だから若者のケータイ風俗はよく知らない。ボケベルの時もそうだったが,目立つ子の逸脱行動がセンセーショナルに煽られすぎている感もある。そういう意味で本書は,ケータイ文化を興味本位でセンセーショナルに批判する類書と一線を画し,ケータイ世代に目線を合わせて共感する視点で書かれた貴重な一冊。
目次から

  1. いじめを生み出す「優しい関係」
  2. リストカット少女の「痛み」の系譜
  3. ひきこもりとケータイ小説のあいだ
  4. ケータイによる自己ナビゲーション
  5. ネット自殺のねじれたリアリティ

ネットいじめ,自殺,薬物など,国会の先生が目くじらを立てている現象が諸々取り上げられている訳だが,道具としてのケータイがどうというよりは,過度の同調圧力に晒されて,親との関係性とか,実存のところで問題を抱える子もいるようだ。親や先生から社会を体現する権威が失われ,彼らが昔のように社会性を押し付けることも減った代わりに,自分らしさなるものを教育からまで求められるようになった。もともと強い同調圧力のあったところで密接過ぎるコミュニケーションツールが更に生きづらい空気をつくってしまったらしい。
そういう生き難さって僕には理解できない部分もあるんだが,世代的現実ではあるのだろう。仮にネットいじめが悪意や固定的な人間関係ではなく,おっかなびっくり空気を読みながらの立場が入れ替わるゲームだとすれば,Webを潰してもメールでもっと陰湿な形をとるだろうし,書き込みを消すか否かという単純な話でもなくて,大人がどう関与し得るか,よくよく考える必要がありそうだ。