雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

オスロ最終日

朝、ホテルから徒歩で向かったムンク美術館では、統計学者の卵でオスロへの留学を考えているという日本人女性と知り合い、ちょっと長めのお茶。ムンク美術館の「叫び」は盗まれてしまって、オスロ国立美術館には別の「叫び」があるということは事前に調べていたのだが、オスロ美術館の場所を調べていなかった。

美術館の場所を調べてびっくり。毎日通っていた国際会議の場所から1ブロックしか離れておらず、王宮をみにいった折に目の前を通っていた。他が軒並み夕方4時には閉まるのに対して6時や7時までやっているし、しかも無償だし。これだったら会議の後に寄れたじゃん!ガラス越しではなく直に間近で絵や彫刻をみられる点も素晴らしい。ロダンの「考える人」とか、ムンク「叫び」だけではなく、10枚ちょっとはあった。ムンク美術館と違ってガラスで保護してなくて、贅沢だよなー、と書こうとしたら、見事にムンクの作品だけはガラスで保護されている。「叫び」が分厚いガラス板で保護されたのは、ムンク美術館での盗難後かも知れないが。まあ、そうなるだろうな。

他に国立博物館や建築博物館、現代美術館にも行ったんだが、現代美術館はストッキングが絡まったようなだけのが何十もあって、もちろんそれだけじゃないんだが、どこが芸術なのかよく分からない。意味に毒されすぎて、病んでいる気がする。ともかく国立の美術館はどこも無料で、内容もかなり充実しており、とても驚いた。オスロ市内は地下鉄や路面電車が非常に便利なのだが、これも値段は高めなんだけれど、自動改札も隙間だらけで、気づかないうちにホームに行けてしまうし、路面電車もお金を払っている方が少数派で、けれども稀に検札があるらしい。で、ちゃんと運賃を払っているのは必ず女性なんだよね、それも少し気になった。お金を払っても払わなくてもいいけど、払うと意外と結構するというのは、何だかオープンソースみたいだな、Linusの故郷フィンランドもこんな感じだろうか、とか変なことを考えながら歩く。

アーケシュフース城へ行くと大砲とか結構あって、こりゃあ立派な要塞だなぁと感心。ところで一昨日もたまたまアーケシュフース城に辿り着き、上がり方が分からず石垣の周りをうろうろしていたらカナダ人の女性に声をかけられた。目が合って「ニーハオ」とかいわれ「俺は中国人じゃなくて日本人だ」と怒り、それから二言三言話した後、思わせぶりに「どうしたいの?」とか聞かれて困っていると「あなたはシャイね」とかいわれて閉口した。

後になって「ああ、そういうことか」と気づいて、今日は改めて城から見下ろすと他にも何人かいる。僕に声をかけてきた子はそこそこ若いけれども色が浅黒く恰幅のいい感じで、他はいずれも30代とか40代で化粧が濃いめだった。オスロの街ってあまり猥雑な感じはしないのだが、どんな街でもそういうエリアって出来るものなのだろうか。寒い中、閑散とした通りでじっと客がつくのを待つとはご苦労なこった。どうにも繁盛しているようにはみえず。
しかし旅の街歩きを面白く書くのって難しいね。やっぱり谷譲次『踊る地平線』はすげーや、とか思う訳だが、何せ普段は理屈っぽい文章ばかり書いているものでイメージとかさっぱり活写できない。そのうち意識して風景とか雑踏の雰囲気とか描写に凝ってみたい気もする。今日は随分といろんな絵を眺めて、19世紀後半くらいに写実的な絵もあって、次第に抽象画が増えてくるのって、やっぱり写真とかの影響で、写真と張り合っても仕方ないから主観に振れたのかなぁ、とか考えてしまったのだけれども、今時どうせ写真や動画に簡単にアクセスできる訳で、というところでブログでもあまり凝った風景描写をみることは少ない。普段ネットでばかり文章を読んでいると、本当に空気を描けなくなる気がする。やっぱブログは理屈を書く場で、何かを描写する場にはなりがたいのだろうか、それとも僕のみるブログが偏っているだけなのか。いつもコトばかり書いていたら、モノの書き方を忘れてしまっている。不得手でもやってみて、少しずつ磨くしかないのだろう。