雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

明日MiAUで話すこと

日曜深夜に突然id:mhattaからSkypeで呼び出され、明日MiAUのシンポジウムで最近の官民の動きを解説することになった。仕事で来れないひともいるようだし、認識違いがあれば本番までに直しておきたいし、頭の整理も兼ねて何を話そうとしているか書いてしまう。状況が流動的なのでスライドは起こさない。書いていて長くなりすぎたので、話すのはこの中の何割かで、後半の葛藤については触れられない気もする。
この法案は民主党の高井議員がよる議員立法の動きが発端ということになっているが、高井議員も自民党で精力的に動いている高市議員も衆議院なので、衆議院で先に審議されるだろう。衆議院単独過半数を握る自民党の動きでは先週がひとつの山場で、業界からの反対声明が出て自民党では各部会の意見も出揃った。今後は内閣部会を中心に、青少年特委案や総務部会PT・経済産業部会からのフィードバックを踏まえて自民党内の取りまとめを行う予定。高市案は継続的に更新されており、法案の文章は初期の案と比べて幅広い意見を反映し、緻密な構成となってきたが、依然として業界の意見とは大きな隔たりがある。
仮に自民党内がまとまれば自公協議、与野党協議の順で議論される。高市案・民主党案どちらの縦書きも衆議院法制局の同じ担当者が行っている模様で、政策協議と案文修正は円滑に進む可能性も考えられる。政局もあって法案が今国会で提出・審議・通過するかは依然として予断を許さない状況にあるが、仮に今国会で時間切れとなった場合も、国民的関心の高い社会問題でもあり、遠からず何らかの違法・有害情報対策が法制化される前提で議論した方が良いだろうというのが現在の大まかな状況。
業界の動きとしては先週水曜にヤフー、MS、楽天DeNA、ネットスターの5社で記者会見を行ったように、全高P連などを通じて保護者との連携を深めていく。木曜に発表されたように、ネットスターとヤフーを中心にUGC/CGMの運用ベストプラクティスを共有して教育関係者などの有識者で検討する研究会ができ、インターネット協会もSafety Online 4の検討をはじめた。Safety Onlineはこれまでよりも幅広い利害関係者が関わったことで、CGM/UGCも含む現実的かつ包括的なレイティング基準となるだろう。同じタイミングで間に合うかは分からないが、ICRA Vocabulary 2008 (Draft)とのハーモナイズも俎上に乗っており、国際協調も意識している。金曜には第三者機関「インターネット・コンテンツ審査監視機構」もできた。同じ金曜に総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」が中間取りまとめを公表したが、携帯電話フィルタリングの検討が一巡したことで、後半戦はネット規制について議論を深めることになるだろう。官民で様々な取り組みが同時並行的に進んでいるが、いまのところ違法・有害コンテンツ対策へ向けた最適解がみつかっていないことを考えると、競争と協調を通じて様々なアイデアが俎上に乗り、活発に議論され、成果を競い合うことは悪い話ではない。
わたしはネット規制に対して心情的には反対の立場にあるが、業界の一員として、ここまで世論が沸騰するまで、必ずしもこの問題に対して日本国内で業界としての自主努力を十分に広報してこなかったことは反省している。警察庁の総合セキュリティ対策会議では、2005年ごろから自殺サイトなどのことも含めて活発に議論していた。平場での議論を重ねた上で、業界自主努力の更なる推進がこれまでの議論での結論であったし、弊社もWindows Vistaからフィルタリング機能などを標準装備し、米国ではNPOとの連携を深めるなど、少なからず投資を続けている。
私個人は学生時代の1990年代末に黎明期のケータイ向けCGMサイト構築に関わったが、当時からCGMが出会いやブルセラ販売、援助交際の温床となっていたことは頭痛の種で、キーワード規制や書き込み担当者の常駐などコストをかけて対応してきた。利用者数がほんの数万人の段階で大変だったのだから、mixiモバゲータウンのように1000万人以上を超える会員を抱えているところは大変な努力をされているのだろう。それでも事件を防げないのは、街に警察があっても事件を防げないのと同じだ。全ての事件を防げなくても警察が必要なのと同様、防げない事案があったとしても、巡回監視やシステムによる対応など民間自主努力は積み重ねていくことが重要だ。これほどネットや携帯電話が普及したにもかかわらず、犯罪件数や被害児童数が横ばい傾向にあることは、民間自主努力がそれなりに成果を上げてきた証左といえるだろう。
今回とても残念だったのは、マスコミの対応だ。報道では繰り返しネットに自殺方法が紹介されていることが問題だと指摘されたが、ネットには硫化水素よりも傍迷惑じゃない自殺方法もいくらだって紹介されている。硫化水素の検索件数の推移をみていると、特に4月以降は明らかにテレビ報道と検索件数とがリンクしている。広告の世界では地上波でアテンションを獲得し、ネットでの検索行動に誘導するメディアミックスの手法が定着しているが、もともとネットでも目立たなかった傍迷惑な硫化水素による自殺を後押ししたのは明らかにテレビであり、ネットを批判するために意図的なリークを行った警察だ。警察官の命を救うためなら、テレビではなくネットを通じたリーチで、硫化水素を使った具体的な自殺方法よりも目立つように、それが如何に悲惨な死に方で近所や警察に迷惑をかけるのか丁寧に説明する方法もあった。自殺増を警察からマスコミにリークする場合も、硫化水素など当該情報に辿り着く上で鍵となる検索キーワードを伏せるなど、後追い自殺を減らすための工夫はできた。
自殺に関するマスコミ報道の在り方については2000年以降、WHOが勧告を出しており、オーストリアではかかるガイドラインを遵守することで8割近くも自殺が減ったという統計データもある。わたしは報道規制に対して必ずしも賛成ではないが、明らかに自殺を煽っているマスコミが、ネットが自殺を助長していると繰り返し喧伝することに対しては奇異な印象を受ける。ネット狙い撃ちで規制の網をかけてマスコミを敵に回さない戦術は、数年前の「青少年有害社会環境対策基本法」での挫折を受けてのものかと推測するが、ネットを特別扱いすることはメディアミックス時代に逆行しているように思う。活字とネットと区別せず、表現の自由と公共の福祉とを如何に調和させるか、十分な国民的議論を通じて、時間をかけて結論を出すべきではないか。
この法案が今国会を通過するにせよ、時間切れとなるにせよ、今回のことで僕は様々なことを学んだ。ネット規制については1996年 米通信品位法に抗議してホームページを黒くした学生時代から強い関心を持っていたが、一連のネット規制を巡る動きには昨年末の携帯電話事業者に対する突然の大臣要請をきっかけに注目した。最初は個人として追っかけて論評していたが、業界に大きな影響があること、霞ヶ関ではなく永田町を中心に動いていることが分かり、個人として動くことに限界を感じて途中から上司と法務部を説得し、会社として動くことにした。会社にとって極めて重要な国際標準化案件も抱えている状況で、上司はよく認めてくれたと感謝している。一連のプロセスを通じて個人ブログを活用し続けたことで、様々な方との出会いがあり、関係者との迅速な情報共有も可能となった。個人として入手した情報を筆名で公表することの一方向性に問題を感じ、途中からはブログを筆名から本名に切り替え、社内の主要な関係者には個人ブログのことを伝えた。
公私のけじめについては、僕個人としてはlinux.or.jpのメールアドレスを持ったまま今の会社に入社した時以来の微妙な問題ではある。原則として会社として発言する場合も僕個人に対する周囲の信頼を裏切らないように、個人として発言する場合も組織人としての信頼を裏切らない範囲で発言し、自分の価値観がどうしても会社としての公式見解を踏み越える場合に限って、あらぬ誤解を招かぬよう個人の発言として注意深く前置きして話すようにしている。これまでそうやってきて深刻な利益相反は起こったことがないし、今後もそうであって欲しいと希っている。会社の立場でコミットした方が成果を出せるコトに対してはオープンなかたちで積極的に会社を使うべきだし、そうやって個々人の想いをエンパワーメントできる組織であればこそ、これからの時代に志ある人々を集められるのではないか。今回の問題についても、個人としての想いを社内外に伝えつつ、会社としてどうコミットしていくか常に熟考したことで、多少は議論を深めることに貢献できたのではないかと自負している。
ネット狙い撃ちでの規制強化は会社の立場としても個人の意見としても望むところではないが、ネットでの事件に対して業界がやるべきことがもっとあるだろうという民意に対して業界として何をやるべきか、法制化の動きに対して如何に是々非々で対応していくかについて、難しい判断を迫られる局面にきている。僕としては個々の課題について論点を明確にして、弊害の小さな対応を献策することが結果的に業界の利益に繋がり、終わらない議論を少しでも真っ当な方向に持っていく上で現実的な方策と信じているが、見方によってそれが規制を推進していると受け止められかねないことも承知している。言い逃れしても詮無いが、僕は目の前にいる聴衆の皆様に対しても、この規制が何を齎すかを知ることになるであろう後世の人々に対しても、自分がどう考え、何を提案し、どうしようとしているのか、できるだけオープンにしていき、直すべき非があれば直せるところから直していきたい。
そして聴衆の皆様にも是非お考えいただきたいのは、もはや何らかの法制化を抗し難い環境の中で、これからも自由なネット環境を望む利用者として、安全なネット利用を望む保護者や有権者、彼らの声を踏まえて動かざるを得ない政治や役所と、どう対峙していくのかということだ。仮にネットが犯罪を助長していないとしても、犯罪のプロセスでネットも使われている以上、ネットへの干渉を通じて犯罪や非行を管理したいという発想は、これからもなくなることはないだろう。それはこれまで建築や都市計画が辿ってきた技術革新の成熟と社会的受容の道である。そして、どれほど精緻な環境管理型権力を築いたとしても、一時的に犯罪が減ることはあっても根絶することは望めない。これからの景気後退局面では、犯罪数も自殺者数も絶対数で増加基調となる可能性さえある。従って遠からずネット規制が法制化されるだけでなく、数年後の犯罪件数を踏まえて数年後に見直しが図られるであろうことも織り込んでおく必要がある。そうすると各論で如何に規制を緩くするかという条件闘争ではなく、簡単には操作できない現実と対峙するところの原則論を持つことが極めて重要だ。個別規制の弊害を論って反対を論じる段階には最早ない。そういった状況認識を踏まえつつ、問題の本質を見極めていく上で建設的な議論を惹起できればと考えている。