雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

自分を売り込むのは自分

世の中が平等だったことなんて未だかつてないんだよ。そこそこの大学を出たら、そこそこの会社に正社員で入れて、そこそこの給料を貰えるなんて、誰も約束しちゃいないんだからさ、そんなことを勝手に期待するのは社会に対する甘えだよ。そういう甘えを育んだのは学校なんだろうけど。言い値で買い叩かれるのが気に入らなければ、自分で自分に値付けして、自分を売り込むしかない。くやしかったら自分から売り方を変えなきゃならない。受身で買いたたかれるのは本人の責任だ。

大体のところ、給料ってのは「ポジション」に対応しているとしか思えない。
はっきりいうぜ。必然性なんてほとんどありゃしねえ。運だよ。地方で生まれたか都会で生まれたか、教育に関心のある親の元に生まれたかそうでないか、大学までに学歴社会に気づけたかそうでないか、就職活動でうまく拾われたかそうでないか、それに「運」以上の何かを持てるほど、新卒の能力って高いっけ?
(略)
年間200万円いかない労働者が大量発生していて、その人たちをどう救うかが問題で。

そこそこの大学を出たから、いい会社に正社員で入れるべきだなんて泣き言、鬱屈した学歴主義の裏返しじゃないか。給料がポジションに対応しているってのは、その通りだ。理不尽かも知れないが、いつの時代だってそうだ。これまで色んな仕事をしてきたが、給料が低くて単純で肉体的に辛い仕事もあれば、給料が高く創造的で楽な仕事もあった。
けれども「運」以上の何かを持てるかどうかは、目先の能力格差よりは伸び代や気概だ。これは「運」だけじゃない。自分の将来を信じてもらえるかどうかが、人間関係や社会的関係を築く上で決定的に重要だ。これは、どんな仕事も組織特殊的能力を身につけてもらうまで何年もかかるから、その投資を後から回収できると信じさせることが重要なのだ。
即戦力が欲しければ、育った中堅を中途で採る。けれどもどんな仕事だって時代の変化に直面している。だから組織として可塑性を持たせるには、若手を採って経験を積んでもらいつつ、次の時代の礎になってもらう必要がある。それにしても日本企業の新卒偏重は合理性に欠ける。もっと中途採用を増やさないと不毛な社内政治や内向き指向が直らない気はするが、それは経営論の問題であってロスジェネが可哀想だから中途で採れという議論ではない。
お前ら学校で真面目に勉強しすぎて勘違いしてないか。努力が報われるなんて、誰も約束しちゃいないんだよ。世の中ってもともと理不尽なものだよ。いい大学に入ったら、いい会社に就職できる権利なんて、どの国の憲法にも法律にも書いちゃいないんだよ。これまで日本でたまたまそういう連中が多かっただけの話だし、今は団塊世代の引退もあって一時的に揺り戻しがきているが、中長期的に戦前以来のパイプラインシステムは崩壊する宿命にある。
努力が報われる夢を与えた方が、みんなよく勉強し、よく働きますよ、だからそういう夢を国民に振りまきましょう、というのは統治の論理だ。基本的人権ではなく、労働生産性とか国際競争力、経営戦略に軸足を置いて語られるべき議論だ。「生きさせろ」って、お前らちゃんと食えてるじゃないか。中国なんて大卒者が無給でいいから仕事を身につけさせてくださいと列をなしてるんだぜ。
本当に食いっぱぐれたら生活保護を受けられる社会は必要だ。年々自治体財政が逼迫する中、北九州方式のようなことが起こらないよう注視する必要がある。最低賃金を上げると多くの中小企業が行き詰まるという意見もあるが、そういった付加価値の低い限界企業は淘汰した方が生産性が上がってGDPが増えるのではないかという議論も必要だ。
けれどもそれは経済効率を軸に企業経営やマクロ経済の技術論として語られるべきで、世代間機会格差に対する被害者意識に立脚すると歪な議論となってしまう。もっと豊かで人間的な生活を送りたければ、嘆いてないで自分から勝ち取れ。