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[フィルタリング] 青少年ケータイ問題に関する論点整理の決定版

教育再生懇談会の報告書に予定通り「小・中学生のケータイ所持禁止」が盛り込まれたとして、制度化には若干の猶予がある。それまでに子どもにケータイを持たせる上での課題やリスクについて議論を深める必要があるが、いいタイミングで教育者の立場からバランスよく問題を整理した良書が出た。是非ケータイ所持禁止の反対・賛成双方の立場の方に、本書を読んで問題を俯瞰していただき、更に議論を深めたい。

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

いわゆる学校裏サイト等の有害コンテンツだけでなく、頻繁なメールによる同調圧力、過大な接触時間による弊害など、問題を多面的に捉えている。大人と子どもでケータイの使い方は大きく異なり、教育上の問題が多々あるのは事実だから、規制反対派の方々も先入観を持たず、本書を読んでケータイが子どもにもたらす問題点を是非ご理解いただきたい。
一方で本書は問題を指摘するに止まらず、サイト運営者側の自主努力や第三者機関設立の動き、フィルタリング方式の概要と課題、問題児童の承認欲求を満たすことの重要性などを説き、フィルタリング万能論や子どもから携帯を取り上げるべきという議論に対して疑問を呈している点でもバランスが取れている。
単にケータイを悪者にするのではなく、日本でのライフスタイルの変遷を踏まえて的確に位置づけ、問題を腑分けした上で、保護者や地域社会がこの問題にどう取り組むべきかを論じようとしているところも、非常に好感を持てる。
本書を読むと、ケータイやサイトの仕組みを工夫するだけでなく、親子で対話の時間を持つとか、学校や家庭以外にも子どもの承認欲求を満たし得る場所をつくるとか、多様な価値観と接して他者との違いを受け止めうる精神を涵養するとか、子どもを取り巻く学習環境全体について改善が必要であることを痛感する。
一方で、子どもを放ったらかして深夜まで飲み歩き、土日もパソコンに向かってメール処理や原稿執筆に奔走する我が身を振り返り、自己嫌悪にも陥る。見苦しい言い訳をすれば、地域社会や子育ての方法が変遷した背景として、抗い難い産業構造の転換や競争によるライフスタイルの変遷もあるのだろう。
スーパーもファミレスも24時間営業で便利にはなったが、かかる産業を支えているフリーターの給与を仮に所帯を持てるくらい増やせたとして、子どもと接する時間を取れるのだろうか。欧州のように商店の営業時間にガチガチの規制をかけでもしない限り、朝夕、休日と子どもと接する暮らしなどできないのではないか。
競争社会に翻弄される大人に代わる受け皿として仮想世界が子ども達の承認欲求を満たしてきた側面は、恐らくあるのだろう。それはそれで援助交際など様々な問題を引き起こしているが、犯罪統計を俯瞰する限り「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代と比べて少年が加害者・被害者となる犯罪事案が減っている事実もある。世の中カネで収まる問題がかなり多いということかも知れない。無論、犯罪の多寡に関わらず子どもの学習環境をあるべき姿に近づけることの重要性は論を俟たない。
いずれにしても今回のケータイ騒動をひとつの契機に、子ども達の学習環境・メディア接触の在り方をどうしていくべきか、かかる環境を実現するために、保護者達の就労環境など周辺環境をどう改善し得るかについて、包括的な議論を始められれば素晴らしいことではないだろうか。スケープゴートをみつけて叩いたところで、泣き言を並べ立てたところで、問題は解決しない。まずは問題を認識し、絡み合う状況を解きほぐした上で、向かい合うところから始める必要がある。