雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ネット規制法に於ける議論の前提と、民主党案の講評

わたしも個人的にネット規制法が必要かどうかについては意見がある。けれども経緯としては政府として民間事業者や技術に任せ、フィルタリング利用の普及啓発に力を入れたにも関わらず問題がなくならなかったのだから、次は立法措置が必要という流れで、それはそれで筋が通っている。

ただ、どうしても価値観が対立するところは出てくる。前のエントリーで書きましたけど、私は「技術的に解決できることに法律を持ち込むべきではない」という考えを持っていて、フィルタリングに関しては技術的に解決できる部分が大きいと思っています。民主党はこの問題を主に立法で解決するというアプローチをとっているようなので、私とは真っ向から価値観が対立しています。

わたしは法律をつくったって有害コンテンツの引き起こす問題がなくなるわけがないとは思うが、それは法律をつくらない理由にならない。実際やってみなきゃ分からないし、できることをやっていなければ批判されるからだ。やって駄目なら次を考えればいい。
役人は予算措置や行政指導といった法律以外の政策手段も柔軟に検討し、本当に必要な場合に内閣提出法案を出すが、立法府は法律をつくるのが仕事だから、何をやる場合も形式的には法律をつくる形を取らざるを得ない。
で、民主党による「子どもが安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案骨子」をどう読み、何に注目すべきだろうか。
まず、法律事項がなく理念法としての性格が強い。いろいろと義務が書かれているが、高市案と違って罰則や立ち入り検査といった法執行の手段は規定されていない。次に、目的を青少年健全育成ではなく、子どもの人権に置いていることも評価できる。裏を返せば子どもの知る権利も擁護すると読めるからだ。また、子どもの安全を確保するための財政措置を明記していることも前向きだ。但し、有害情報が例示されている点が気になるといえば気になるが、有害情報を国が定義しないために腐心した痕が窺える。
法律というから構えてしまうが、この法案骨子の実質を政治的な宣言をすっ飛ばして強引に要約すると、保護者や事業者など関係者の自覚を促し、かかる政策の推進に対して予算をつけるということだ。行政府であれば予算措置や行政指導で済む話だが、政治主導でやるから法案というかたちをとることになる。
実際問題として民主党高井美穂先生が昨年末から議員立法に動いたことで、自民党や関連省庁、業界での議論が進み、実際に違法有害情報対策が大きく動き始める契機となったのだから、最終的な法案骨子で理念的性格が強くとも、その成果は法案骨子の文面を超えて非常に大きかった。
技術で解決できることだから法律は必要ないという考えにも一理あるが、フィルタリング技術が提供され、政府として普及を促進していても事件がなくなっていない状況で、政治の不作為が許されないという状況認識が背景にはある。
結果として政策過程を通じて関連省庁や事業者に対応を促し、かかる動きのために予算をつけるための法律になっているのだから、その立案過程での高い社会的影響力と、内容が現実的であるところに着目し、高く評価すべきではないか。