本当の闘いは これから始まる
どうして子どもにケータイを持たせるななんて時代錯誤な報告書が出るのか悩んだ。だいたい教育再生懇談会なる懐古趣味的な名前から間違っているのではないか。学力崩壊の理由ってゆとり教育だけじゃなくて、先生のいうことを聞いて、いい学校、いい会社を目指せば立身出世できるという右肩上がり成長の物語が終わったこともあるのに、そこには目を向けず年寄りが寄って集って懐古趣味に走っている。
だいたい昔は「末は博士か大臣か」なんていったもんだけど、いまどき博士になって幸せかは疑問だし、就職活動中の東大情報系の院生に話を聞くと教授が博士課程に進学して欲しいと考える俊才ほど最近は博士までいってもキャリアパスを描けないことを知って、修士卒で外資系金融やコンサル、GoogleとかIBMの研究所に流れるらしい。それで何割が幸せになれるかは分からないけどねー。こんな時代に深く考えずいわれた通りに勉強し、大企業とか目指す方がマズいんじゃないかな。
「10年は泥のように働け」とかいったって、連中の時代は馬車馬のように働けば次々と仕事を任されたんだろうけど、いまどき低成長にも関わらず長期雇用を維持したせいで、安定した職は減ってフリーターばかり増え、運良く正社員ポストに収まったところで年齢構成が歪なせいで40過ぎても部下のいないのが普通じゃん、とか、齢31にして部下を持ったことのないロスジェネお気楽サラリーマンの自分なんか考えるんである。
「仕事をするときには時間軸を考えてほしい。プログラマからエンジニア、プロジェクトマネージャになっていく中で、仕事というのは少しずつ見えてくるものだ」なんて、経済成長に乗って漫然と大企業に安住したCOBOL世代の寝言だろ。いまどき10年経ったら技術も産業構造も激変し、40過ぎて万年平社員もいれば、20代で1兆円企業の創業社長だっているんだよ。創業100年超グループ従業員15万人以上の名門企業が、創業3年で社長が24歳の会社に時価総額で負けてるご時勢だぜ。
書店に平積みされた『蟹工船』が飛ぶように売れる時代に、馬車馬のようにであれ働けば、能力の積みあがる可能性のある仕事に就く機会に恵まれているって、実は幸せなことかもね。けれども成長神話から目覚めぬまま既得権益にしがみ付き、現実から目を背けて勝ち逃げた世代から「10年は泥のように働け」といわれても、どう考えたって空手形じゃん。
だいたい自分の若いころを回顧したところで思考停止してしまう、想像力に乏しい年寄りにリーダーの資格なんてあるんだろうか。若いころ泥のように働き、途中からは会社の歯車として自分の頭で考えることを止めて上げ潮に乗った連中に、果たして経済の成熟局面で転換期の日本を引っ張っていけるのだろうか。
とりあえず流れに乗っておけ、世の中の矛盾からは目を背けとけ、誰かがどうにかしてくれるという連中の腐った性根こそ、いまの日本の閉塞感の元凶だ。小泉劇場政治のような上滑り的な新自由主義や格差拡大の顕在化は、その短期的な調整に過ぎない。若者の怠惰や新技術の弊害を誇張する言説は、彼らが夢から醒めないまま既得権益を手放さないことを正当化するためのプロパガンダに過ぎないのではないか。
僕らがいま創るべきは、連中が泥のように働いたところで組み立てられない新たな展望だ。子どもからケータイを取り上げるのではなく、ケータイのある時代を生き抜ける子どもをどう育てるか、「泥のように働け」と掛け声倒れに終わるのではなく、馬車馬のように働きたくなるような希望をどう共有するのか。
時代の変化や世界の潮流から目を背け、自分が夢から醒めないために、子どもから新しい道具を奪い、若者から搾取しようとする年寄りとの本当の闘いは、これから始まる。