雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

組織に殉ずるということ

甘粕大尉というと震災ドサクサで大杉栄を殺し、満州に渡って映画を撮っていたくらいしか知らなかったが、本書を読むと彼が陸軍のスケープゴートとして罪を引き受け、出獄後も陸軍に対する貸しでのし上がり、満州国の建設に深く関与した後も国際謀略に情熱を傾け、満映理事長として大成しつつも周囲から誤解や好奇の視線を受け続け、深いコンプレックスを抱えながら孤独に生きた様が浮かび上がる。しかし組織を守るために殺人罪を引き受け、出獄後も秘密を守り続けるなんて想像できない世界だ。

甘粕正彦 乱心の曠野

甘粕正彦 乱心の曠野

本書を読んで、伊藤野枝や大杉の甥の橘宗一を殺めたのは甘粕ではないだろうし、彼が大杉を殺めたかどうかさえ甚だ怪しいと感じた。大杉を連行したのは甘粕だが、その後の集団暴行は彼の意図に反し、現場を押さえられなかったのではないか。
けれども彼が罪を被ったのは、彼が組織と共依存していて開き直れなかったか、それとも現場にいた責任者として3人に対する集団暴行を引き起こす環境をつくってしまったことに責任を感じたのか、ここで陸軍に大きな貸しをつくった方が大きな仕事をできるとでも考えたか。場の空気とか流れみたいなものがあったのだろうか。
僕と似たような歳、齢33の鬱屈したインテリが、部下の暴走を止められず組織から殺人犯に仕立てられていくとは一体どんな気持ちなんだろうか。獄中にあって自分に大杉拘禁を命じた元上司たちが順風満帆に出世していくのを知ってどう思ったか。陸軍や警察の中枢では事件の真相が噂されただろうし、部下をスケープゴートに立てれば火事場の謀略も見逃される人事が、特にエリート軍人の倫理にどういった影響を与えたか。その後の226事件や515時件、甘粕自身も関わった満州事変といった現場の暴発の遠因となっていないだろうか。大正デモクラシー爛熟期のアナーキーな空気は、左翼やアナーキストだけでなく、恋闕青年将校たちをも蝕んでいたのではないか。
甘粕は組織を見限ることもできず、むしろ活躍の場を渇望するように、満州事変はじめ謀略に手を染めていく。大杉虐殺の罪を引き受けた甘粕と、満州国建国の謀略に身を挺した甘粕とで、周囲や置かれている状況が変わっただけなのか、それとも倫理の位相に変化はあったのだろうか。
出獄後の無垢と堕落については、とある作家と出獄間もない頃にお会いした時は非常に精悍だったのが、獄中で過ごした青春を取り戻すかという勢いで軟派になって、次第に悪い話を聞くようになって、忘れた頃に自殺の報を聞いたことをふと思い出す。甘粕も出獄直後は忌避していた満州を、渡仏時の絶望と堕落を経て、新天地として期待するようになったのか。
軍国主義とは実はアナーキズムの対極にあるのではなく、軍隊が放埒となった結果こそ軍国主義だったのではないか、と強く考えさせられる。甘粕事件ではドサクサの大杉拘禁を指示した幹部、現場で集団暴行に走った部下を庇って割を食った甘粕が、渡仏後は国際謀略の機会を渇望し、関東軍が直接に関われないほど際どい謀略に率先して加担していったこと、満州の夜の帝王と恐れられてからの甘粕も、会った人々から信頼され強い印象を与える鬱屈したインテリであったことの意味は考えさせられる。