雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

コンテンツ制作者は是非ともクーデターを

わたしも一端の物書きだが、原稿料に不満を持ったことはない。だいたい原稿料を聞いてから原稿を書いた試しがない。筆一本で食えないだろうってことは初めて雑誌に原稿を書いた大学に入る少し前で思い知ったし、大学に入って間もなく原稿執筆よりも効率的な知に対する付加価値のつけ方を学び、いまの本業だってその延長線上にある。

今こそ、コンテンツ制作者たちは真剣に怒るべきである。クーデターを起こすべきである。アーティストやその周辺の人がその気になれば理不尽な行いを糾せることは、昨年のハリウッドの脚本家のストライキからも証明されている。そんなヒマがないなら、海外に避難する道を考えるべきであろう。

権利者の方々はしばしばリスペクトという言葉を使うが、iPodやHDレコーダを買う際に数百円余計なカネを、顔の見えない権利者に支払うことのどこがリスペクトなのか。僕は一端のクリエイターとして自分の書いた記事が論評されたり、引用されて議論が起こったり、場合によっては炎上するくらいが本当のリスペクトだと思う。音楽だって再生されて、論議を巻き起こし、或いは人々の魂を救い、別のクリエイターがインスパイアされたりマッシュアップしたりってのが本当のリスペクトだろう。
言い古されたことだがコンテンツ保護の強化で喜ぶのはクリエイターではなく、ブローカーやロビイストといった補助金ゴロどもだ。彼らは守りに入っているから、広くコンテンツが流通し、新たなコンテンツが生まれることよりも、自分たちが既に所有するコンテンツを少しでもマネタイズすることを重視して権利保護強化を主張する。
コンテンツに相応の対価なんてものはない。自分で値段を決めて、売り方を考えるんだ。売らないことだって選べるし、市場で決まった価格でやりくりして、誰に何をどう売るかを考えるところから、創造は始まっているのである。いつか世に出たいクリエイターなんて山ほどいる。過去しか見ないで仕事する連中が去ってくれれば、その分のカネや機会が裾野にまわるかも知れない。
政府による規制や補助金を望むコンテンツ社会主義者どもは、是非ともクーデターを起こして自分が余人を持って代え難い存在なのか、単なるラッキーボーイなのかを試してはどうだろうか。映画界はかつて五社協定でそれをやったし、ハリウッドの脚本家と違って日本のギョーカイ人たちが不平タラタラでも決してストライキしないのは、内心どこかで自分たちがラッキーボーイだという自覚があるのだろう。下からのクーデターが怖いからストライキを打てないのである。
お上に取り入って補助金とか規制で業界を固定化する業界ゴロたちが跋扈すれば、どんな業界も疲弊して弱体化する。本物のクリエイターは法を捻じ曲げずとも創意工夫で生き残る。クリエイターの給与が低いのは、給与が低くても人材供給が途絶えないからであって、クリエイターから搾取する立場にある業界のトップが、権利保護を強化すればクリエイターの給与水準が上がるなんて与太を大っぴらに語るのは如何なものか。レコード業界のロビイストとしても見え透いているし、経済学のイロハも無視したポジショントークは大学教員としての見識を疑う。