雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

情に棹させば流される。意地を通しても誤解され。。。

役所でネット規制へ向けた動きが急。この夏くらい頭を冷やして本質論を組み立て直したかったんだけどねー、ぜんぜん暇にならない。青少年ネット規制法の附則に違法情報対策が入って、秋の臨時国会までに何かしら方向性をみせないと、またぞろ国会で吹き上がるぞ的な恐怖もある訳で、仕方ないのかなぁ。
という訳で児童ポルノの閲覧抑止とか、犯罪予告対策とか、フィルタリングよりも微妙な議論は猛スピードで始まったばかりで、青少年ネット規制ではお疲れ様でした、みたいなことをよくいわれるんだけれども、実は官主導で全国民ネット規制の議論が始まってしまいました、こっちの方がずっとヤバいのに安堵してる場合じゃないぜ、という状況がある訳だが。
ところで昨晩は久々にひとりで風花で飲んでいた。普段はストレートのところを水割りをちびちびやっていただけなのに不覚にも酔った。夕飯を食べずに飛び込んで、お通しだけで頑張ったからか。静かに飲みたかったのだが何か出版記念パーティーの2次会だか3次会と重なっていて、補助椅子を引っ張り出すほどの盛況だった。で、大手マスコミが全くネット規制を取り上げない時期に相談させていただいた経緯もあったんで「とりあえず青少年ネット規制法は片付きましたよ」とご報告差し上げたら「わたし聞いたんですけどね、あれは全て民間にやらせるってことが問題なんでしょう?」といわれて、ちょっと困った。
酔っていたし「当初案だったら、本当に国家による言論統制になってましたからねえ。これから民間は諸々手を付けなきゃならないし、国は何をしろという訳じゃないから、外野からみていると、何をどこまでやらなきゃならないのか、正義感に駆られたところが行き過ぎないかとか、確かに心配になるんでしょうねえ」と相づちを打って、けっこう暗澹たる気持ちにさせられたんだよね。彼らの指摘する論点って、高市法案以来ののコンテクストを共有していない人々が、ジャーナリスティックな視点で問題を探しまわる姿勢として間違っちゃいないんだよ、たぶん。けれども、とても悲しい。
「政治って妥協のプロセスだから立て付けについて気になるところはあるけれど、以前の高市案や内閣部会案と比べればベターなところに落としたつもりなんですけどねー。どうしようもないことが目の前で展開していて、嫌なものをみたといって立ち去るのと、中に入り込んで勉強して、詰めるところを詰めて、少しでもおかしなところは直せるだけ直していくのと、どっちがいいんでしょうねー」と溜め息。
方々で青少年ネット規制法や違法情報対策について議論の経緯を説明して、論点について議論して、別に自分がやりたくてやっている訳でもないのに、気付くと立案者を代弁しているようにみえてしまう自分の言動を内省してしまい、きっと不本意な視線を浴びる機会も増えるだろうなぁと頭が痛くなる。
このところ菊池寛の評伝とか徳富蘇峰の日記を読んで不覚にも共感してしまうのだが、彼らは言論人だし南方戦線が持たないという情報や見識も持ち合わせていたから、きっと積極的に言論統制したというよりは軍の矢面に立って文人たちの生活を守り、彼らなりに皮肉を利かせつつ悲鳴を上げていたんだろう。けれども戦後は戦争協力者として、全集を出そうとしても反対運動が起こる現実とかはある訳で。違法有害情報対策に首を突っ込むって、その手の誤解を受けてでも誰かが飛び込んで考えて踏み止まるところを決めるしかないんだろうね、という気もするのである。
ちょうど融合法制のパブコメが出ているので対応に悩んでいる。もともと青少年ネット規制法やプロバイダ責任制限法、迷惑メール法といった違法有害情報対策法制を情報通信法に溶かし込めるかなぁとか、Friio対策でTechnical EnforcementからLaw Enforcementへの移行が検討されていることに関連してB-CASを捨てたあとの端末規制をどういった法的枠組みで検討すべきかという下心で勉強し始めたんだけど、真面目に勉強して考えれば考えるほど、2010年通常国会情報通信法を提出するという竹中懇談会の宣言は、いちど白紙に戻した方が却って通信と放送の融合は進むんじゃないかなという考えになってきた。
まず、通放融合の主要な論点ってオープンメディア規制、テレビコンテンツの利活用拡大、NTT再々編の三本柱だったと認識しているんだけど、前者は青少年ネット規制法を契機に前倒しで議論されているし、後者はネット権法とか日本版フェアユースで議論されていて、NTT再々編は2010年から議論することになっている以上、2010年通常国会提出を目指す情報通信法には間に合わない。
電波法や有線電気通信法といった物理インフラに関連する法律は、国際的にもITU-TITU-Rで別々に議論された別々の条約とのハーモナイズを要するし、死ぬほど政省令とか告示があるので死ぬほど仕事が増える割に、法律が融合したところで光ファイバが空を飛ぶ訳でも、電波の伝播特性が改善する訳でもない、全くの徒労で壮大な手間と時間の無駄遣いとなってしまう。
しかもWhite SpaceやCognitive Radioを日本で使えるようにするには、そもそも電波法の趣旨を発射規制から混信回避へと転換する必要となるけれども、いまの電波法の体系をそのまま情報通信法に持ってくるかたちで全面改正してしまうと、この辺の議論を踏まえた改正が5年10年とか遅れてしまいそう。
事業者数を片手で数えられる電気事業法を下敷きにつくった電気通信事業法で、万を超える事業者を管理監督するのって明らかに破綻しているし、有ラ法、有テ法、役務利用放送法とか明らかに分ける必要のない事業法はコンソリするとして、事業法再編はNTT再々編とセットで議論しないと明らかに二度手間だし。
コンテンツ規律にしても何でも縛れ縛れのご時世にネットと放送をごった煮にすれば、規制強化の方向に働くことは目に見えている。いまの放送法は放送以外のマスメディアがなかった時代にコンテンツのバランスを取るために規制したのであって、ネット上にオルタナティブがいくらでもあるご時世に総合編成とか客観中立って本質的には不要じゃないかな。
放送局が放送番組に第三者が勝手なメタデータを貼ることをあの手この手で邪魔しているけれど、批評可能性を邪魔するこういった動きさえ規制できれば、放送の中身に対して役所が監督すべき時代は終わったんじゃないかな。特別な社会的影響力という縛り方をすると、そのうちポータルやアルファブロガーも自主規制機関をつくって総合編成に、なんて話になりかねない。どうしても御用メディアが必要ならNHK法で措置すればいい。
という訳で、メディア規制強化を防ぐ点でも、情報通信法の2010年通常国会提出は流産させた方がいい気がする。新たに工程表を引き直すとすると、まずは新技術への適応や周波数オークション試行へ向けて可及的速やかに電波法改正に手をつけ、NTT再々編の議論と並行して乱立する事業法を大幅に整理し、最低限の規律と批評可能性の担保を違法有害情報対策に盛り込んで、放送法は将来的に廃止の方向で、というのはどうだろう。
さて誇大妄想の青写真はそれでいいとして、どんなパブコメを書こうかな、と。

こころの王国―菊池寛と文藝春秋の誕生 (文春文庫)

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徳富蘇峰 終戦後日記ーー『頑蘇夢物語』

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