雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ロスジェネ言説を自己憐憫の道具として消費すべきじゃない

文化系トークラジオLifeアキバ事件を扱った回を一通り聞き終えた。僕もブログで加藤をダシに製造業派遣を批判したり普段からロスジェネとして社会批判している訳で、かかる言説に対する違和感は耳が痛いし甘んじて受けるし、自分が何のために事件を論じたのか、それにどういった意味があるか改めて考えさせられた。
僕がアキバ事件を論じたのは、時節柄ネット規制の強化に繋げようという動きを牽制する意図があった。青少年ネット規制法の附則に明記された違法情報対策は進める必要があり、子どもにケータイを持たせないための立法措置とか、犯罪予告の検知システムをつくるといった話が動いているし、役所から掲示板に110番の案内を出せとか、昨年御社で何本のダガーナイフを売りましたか的な問い合わせや要請に対応している立場としては、今回の事件がケータイ・ネット業界への規制や監視の強化に繋がる具体的な危機感があるし、その前に考えるべきことがあるだろうという忸怩たる思いがある。
結局のところ加藤をダシにいきり立っている連中に対して「待て待て、やるべきはそっちじゃなくてこっちだろ」的な提案をすること自体、結局のところ事件を梃子に社会を変えようとしていることに変わりなく、引いた目線で考えると凶悪犯罪やテロに対して社会的意義を認めてしまうことになりはしないか、という懸念に応え切れていない。
本来はロスジェネ対策は通り魔事件があろうがなかろうがやるべきことで、加藤に引っ掛けて論ずる必要はないし、論ずべきではないのだろう。ダガーナイフ規制や犯罪取り締まり強化は再発防止へ向けた毅然とした対応として説明できるが、日雇い派遣禁止は便乗もいいところだし、グッドウィル廃業に至っては失業者を生むだけで無責任も甚だしい、馬鹿げた官製不況の歴史に新たな一頁を刻んだに過ぎない。
僕はロスジェネ対策として、当面は雇用保険から零れ落ちている層に対する職業訓練の実施、派遣業法のポジティブリスト化への回帰、新卒一括採用と年功序列を壊し得る雇用に対する年齢性別差別の禁止、整理解雇4要件を上書きする労働契約法による雇用流動化、政治任用や法曹一元化によって魅力的かつ有期のポストを増やすことによる優秀な人材の流動化・キャリアパスの複線化などを図ることが有益と考えている。
それはアキバ事件があろうとなかろうと粛々と主張すべきことだし、それが残念ながら加藤のようなロスジェネの多くを救わない現実にも気付いている。承認の問題に限れば、社会構造や企業行動に手を突っ込むよりも、宗教とか地域社会の再生といった文脈で検討した方が実質的な成果を得られるだろう。
ロスジェネ負け組だから云々とか弱音を吐いて自分の境遇を社会のせいにして今の立場に安住したって何も起こらないんだから、自分で這い上がれよと発破をかけると、ネオリベといわれてしまうんだろう。別にそれは構わないけれど歴史上どこにも社会矛盾を抱えていない世界なんてないし、社会を論じる意義はそれを変えるためであって、自己憐憫に浸って立て籠もるためではないのだ。
社会を変える上で社会科学のコトバにはそこそこの力があると私は信じる。時代の矛盾を抉ることに意味があるとすれば、それを改善するための政策提案を促す点にあるのであって、経済合理的な企業行動を告発したり、かかる社会矛盾の被害者と自己規定して自己憐憫に浸ったり、彼らが何らかの所得再配分を求めることの正当性を後押しするものではない。
政府にできることがあるとすれば、再び不況になっても次のロスジェネをつくらぬよう、また現在のロスジェネにも雇用機会が増えるよう、職業訓練の拡充や雇用機会の拡大を図りつつ、中長期的に企業の新卒一括採用を縮小する方向で誘導することであって、かかる政策がきっちり実施されたところで、ロスジェネの置かれた理不尽な状況を埋め合わせられる訳ではない。
だから結局のところ、自己憐憫に浸って被害者意識を肥大化させたところで、何の得にもならないんじゃないかな。

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