雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

親の責任は人生で取るんだろうな

親もいろいろ、非コミュだったり、飲ん兵衛だったり。増田が親や教師が完璧じゃなきゃ許せないとか思っているなら子どもだよ。親は子に対して、人生で責任を取るしかない。加藤の親も、これから償うんだろう。償って償いきれるもんじゃないし、結果責任は免れないとして、何が悪かったんだ?グループディスカッションして直る話じゃないだろ。

家族の責任ってものすごく大きくないだろうか?
子供の教育について親たちは本気でグループディスカッションをすべきじゃないのか?
社会全体の問題や派遣社員ダガーナイフやオタクの問題ではないはずだ・・・・

時代は変わるんだから、親の生活実感に基づくアドバイスが有効か裏目に出るかは結果論でしかない。中学から高校にかけて僕が親のいうことを聞かなくなったとき、結局のところ親は僕の人生に対して責任を取れないのだから、信念があれば自分が通すしかないし、その責任は自分が人生というかたちで負うのだろうと思ったよ。勉強しないのも、やりたいことを諦めるのも、機会費用の点で等価だということに気付いたとき、自分の人生にとって何が大事かを選ぶのは他でもない自分だと思った。
けれども後から考えると、親心ってのもあるんだろうね。子どもは狭い世界しか知らない。親の世界が広いかも場合によるけれど、少なくとも生きている期間や付き合った相手は子どもより多い。そりゃあ親だけじゃなく他の大人とも会うし、親より尊敬できる大人が身の回りにいる環境が理想だ。おかしな親だけじゃない背中を探せる環境をつくれるかって、大事なんだろうな。
子は親を選べない。そして親はいろいろ。物わかりのいい親もいれば、そうでないのもいる。生きている時代が違うのだから、価値観を押し付けられた通りに子どもが生きて報われるとも限らない。政治とか経済で、親を矯正するのは無理じゃないかな。もう、出来上がった人格なんだから。確かに子は親を選ぶことができないけれど、誰の背中を見て生きるかは選ぶことが出来るかも知れない。そういう社会は、たぶん築いた方がいい。
親は生きている間、子どもの行く末を自分の人生の一部として責任を取るのだし、子はその人生を通じて自分の生き方として責任を免れない。だから今以上の責任をお節介にかけようとしたところで何も起こらないよ。自覚の問題とか、世界が広がるきっかけとか、あるんだろうけど。
僕も三児の父として、自分の人生のこれからを子どもと共有しているが、僕の時代の価値観を押し付けて彼らを幸せにできるか自信はない。けれども、彼らが快楽や目先だけを考えて行動しているかにみえる時、いちおう立ちはだかるのも親としての務めであるとは思う。僕の周囲にいた賢いマセガキの中で、自分の考えを持って勇気を持って行動したにも関わらず、流れに乗らないことで人生の回り道を余儀なくされた例も少なからず見るので、いちおう保守的なこともいうのだろう。それを振り切った子どもを束縛できるものでもないが。