雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

まぁ泥カン良かったんじゃね。希望は自分で紡げ

IPAのイベントで大御所が出て「泥のように働け」といったのに対し、ナナロク世代から「IT業界って泥のように働かされるところばかりでもないよ」って意思表示したのは、まあ悪くない展開だ。パネラーの所属してる企業とか応募者不足には困ってないよな、そもそも、とか思うけど。彼らは確かにSI業界じゃないけど、IT業界≠SI業界って意思表示だけでも意味あるかも。

ただ良くないと思うのは、「IT業界全体が泥のように働かされるわけではない」というなら、「泥のように働かされている」人達と、今回の泥カンのような「楽しそうなことやってる」人達の対比があってこそ、業界の中での違いというのがわかるんじゃないでしょうか。

泥のように働かされるのは問題ですよ。会社に搾取されている可能性が高い。でも、本当にスキルを身につけたければ自ら泥のように働くことです。
泥のように働けば、成功するチャンスの多いのがIT業界なのです。

たぶん本当に泥のように働かされている当人は、そもそも東大にノコノコ出てきて壇上で自分の立場を堂々と語る余裕ないだろうし、自分の立場を説明するための言葉も持ち合わせていないだろうから、対比させるのはあまりに残酷だ。せいぜいid:higayasuoさんやid:shi3zさんといった、大御所ほど歳が離れてないけれども、泥のように働いて大成したと胸を張って語れる技術者に出てもらうのがいい。
俺は社会に出て12年、10年泥のように働いたかといわれると程度問題だけど、本当に泥のように働いた実感があるのはせいぜい1〜2年、その代わり修羅場は時々潜っている。大学1年で外資半導体メーカーから受注した受託調査で、初プレゼンに寝過ごして遅刻した挙句、持ち込んだ資料が全て文字化けしていたり。大学2年でメーカー子会社にコンサルで乗り込んで、不必要に高級な汎用機を押し付けていたグループ情シス子会社と外資系汎用機ベンダのSEを並べて片っ端から論破して契約を打ち切ってベンダー探しから出直したり。留年後の大学2年で居ついて間もない前の会社で、火を吹いた通信事業者相手のコンサル案件を会社に1ヶ月ちょっと泊まりこんで立て直したり。学生時代から応分の修羅場は潜った。修羅場って望んで飛び込めるもんでもないけど、若いうちに潜っておいた方が得だよ。大抵のことには動じなくなるし。
たまたま世に出た時代と巡りあわせがよかったんだろうし、10年も泥のように働く以外にスキルの身につけ方とか、度胸のつけ方みたいのってあるんじゃないかな。「泥のように働けば、成功するチャンスの多い」ってのは一面真実で、泥のように働くべき機会とか、向こう傷を恐れず飛び込むべき機会とか、人生でそういう巡りあわせがあった時、それは本質的に籤のようなものだから、逃げた奴はその分だけ機会を失っているだけじゃなく、逃げる奴だと烙印を押されれば機会そのものが巡ってこなくなる。
実際のところ世に出てから、泥のように働くか、修羅場を潜るか、エスカレータに乗るかなんて、会社どころか部署とか時期によって変わってくる訳で、苦労を知らなきゃ人生の後半で苦労することもあるし、苦労を知らなきゃ他人の苦労を理解できず人の上に立ってから苦しむかも知れず、そこは人生万事塞翁が馬って話でさ。
努力が報われるかだって、結局のところ運と時の巡りあわせ次第だよね。自分の関与に対する対価として何を期待するのか、については現実的な計算ができるけれども、何に関与する機会があるか、それに対してどういった対価が予定されているかなんてホント千差万別だよ。確かに下に行くほど割に合わない泥仕事ばかりって面もあるんだろうけれど、外からは順風満帆にみえても、本人は意外と波乱万丈だったりするんじゃね。
努力が報われると信じなきゃ努力できないってあるけれど、それは必ずしも努力が報われるって訳じゃない。けれどもヒトとして自分の人生の偶有性を大切にするしかない。「泥のように働かされている」人達と「楽しそうなことやってる」人達って二元論で語り尽くせる話じゃないし、自分のやっている仕事を泥と感じるか、機会と楽しめるかは本人の実存に懸っている。それを泥と感じるなら、頑張って何かを勝ち取るか、泥から抜け出す努力をすべきだ。それが無理なら、まったり泥と戯れる生き方を覚えるとか、いちど泥仕事から降りて自分を見つめなおしたっていい。
新人には自分の仕事を泥とレッテルを貼って自己憐憫に浸ることなんか覚えて欲しくない。泥仕事は楽しそうなことへの過程にも山ほどあるし、それと向かい合えるかは希望を持てるかという問題だ。仮に残念なことに君の会社が君に希望を与えられないなら、君自身が自分の原動力となるような希望を紡ぐ必要がある。そのスキルはきっと君の人生をずっと支えることになるだろう。