雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

特効薬は犯罪報道の配慮なんだが

八王子の事件も硫化水素自殺も、テレビや週刊誌の犯罪報道がああじゃなかったら起こらなかった可能性があるし、これからも似たような事件が続くんだろう。もちろんマスコミは自省しないし、政治家もナイフやケータイは槍玉に上げてもマスコミには気を使う。言論の自由より人命の方が重いって被害者が訴えれば反駁するのって難しいから、業界が自主的に襟を正さないと面倒なことになるんだが。
役所で犯罪報道の在り方について研究会を立ち上げようものなら、報道管制の端緒を開くことになって気持ち悪い。現行の放送法の枠組みでも、BPOがWHO等を参考に自殺報道・犯罪報道について模倣犯を防ぐためのガイドラインを自主的につくることは考えられるけど、先日の民放連の国会答弁なんかを聞いている限り、やらないだろうな。どう報道すれば模倣犯を減らせれば興味はあるんだけど、言論統制の口実に利用されるのは嫌だから、掘り下げて議論すべきか悩む。

歪んだ人間が犯人に自分の「こころ」を重ねてファンタジーをふくらませやすいタイプの報道を避けるための、メディア業界のルールをつくるべきだ。自殺の連鎖を起こさないための自殺報道のルールのように、考え抜かれた犯罪報道のルールをつくる必要がある。
秋葉原の報道が、あんなふうではなかったら、被害者斉木愛さんは、今、生きているはずである。

一連の事件に共通しているのは、「だれでもよかった」「むしゃくしゃしていた」など、容疑者たちの言い分の幼稚さであり、身勝手さだ。それはいくら非難しても足りない。
だが、非難するだけでは、次の事件を防ぐことはできない。秋葉原の事件のあとにダガーナイフを規制する方針が打ち出されたが、家庭にある包丁まではなくせない。
特効薬がないとしたら、事件を誘発しそうな問題点や社会のひずみ、矛盾などをできるところから減らしていくしかあるまい。