雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

女。京大生からはそうみえているのか

いつも鋭いなぁと思って読んでたのに、切実なことになると意外と陳腐な意見に驚いた。SFCで起業家タイプってネットバブル時代ですか(遠い目。最近のカイシャってそういうひと求めてたんでしたっけ。前のめりに即戦力とか能動性といっても、組織で受け入れ態勢を整えないことには使いにくいよねって議論がだいぶ前だった気も。創造性はあってもいいけど協調性も大事だよねってところで、コミュニケーション能力とかの話になっていた気が。それだけじゃ同調圧力に対する耐性を期待してるみたいで気味悪いけどさ。
学歴エリートの没落は戦前以来のパイプライン・システムが崩壊したことが原因で、これは大学経営のために定員増や大学院重点化を意図的にやった文部省に責任がある。教授から唆されて博士までいっちゃった人々は逆恨みする資格があるけれど、この売り手市場で就職できない学部生にいわれても「はぁ?」って感じ。まぁ、時代に即した教育が行われない理由も、身内の庇い合いで教授陣を入れ替えられないことだから同根ではあるが。
コミュ能力って何だよ。という突っ込みは本田由紀さんじゃなくとも聞きたいところだが、いいとこの学生さんが就職活動で落ちまくっているのって、結局いいところばかり受けているからじゃん。それってミスマッチに過ぎないし、政策をどうしたところでマクロでは改善しようがないよね、とか冷静に考えてしまう訳だ。優秀な京大生だったら5秒で気づきそうなことだが、じゃあどうする、というところで「けものみち」をゆけと僕ならアドバイスするが、学歴社会の頂点を極めた純粋まっすぐ君たちは、横並びで競争となったら深く考えず飛び込んでしまうのかな。
学校での競争と社会での競争とで本質的に異なるのは、前者がゼロサムの横並びで競争させるんで頑張れば結果が出るように設計された競争であるのに対し、後者は需給に翻弄されて人事を尽くして天命を待つ、あたるも八卦あたらぬも八卦の世界ってことですよ。倍率3桁4桁といった宝くじ並の世界でいくら張ったって運、とか割り切らないで疲弊するんだろうなあ。
はてダ止めちゃった本田由紀さんの言説でどうしても納得できなかったのが、学校の理屈で企業社会を批判し、学校での努力が企業での栄達に結びつくべきで、そのために教育も企業も変わらなきゃならないと主張していることだ。かつて企業が学校化されたのは、そもそも富国強兵・戦後復興と続いた開発主義の流れで、企業に入ってからも「海外から学ぶ」ことが活動の本質だったからで、学ぶことに熟練した質の高い労働者と、彼らの緩やかな紐帯を形成する仕掛けとして帝大が機能してきた訳だ。その仕組みは経済面で米国に追いついた1980年代には綻びをみせ、SFCのような実験に繋がった訳だが。けれども一方で、前提を疑うことを知らず、仲間内で庇いあうエリート根性が日本を駄目にしてきたのがバブル崩壊から失われた10年に至る流れとしてある。
だから大きな時代の流れとして、経済成長・護送船団で活動した分は与信枠と売上げついてくる時代が終わって、企業が不確実性と国際競争の波に飲まれるようになり、現実問題としてこれまでと別の人材が必要だし、社内で育てられないスキルを持った人材も欲しいし、どうやればいいか分からないけれど模索してみるか、となっているのだろう。企業が戦略的にコミュニケーション能力なる曖昧な基準でハイパーメリトクラシーを仕掛けているんじゃなく、企業単位で「頑張れば報われる」を担保してきた経済成長、メインバンク制、系列取引、談合体質といった前提が崩れた中で模索しているだけでしょう。それを「人材に於ける新しい能力競争軸」と捉えるのは恐らくミスリードで、新卒採用の競争激化は単なるミスマッチでしかない。厳しい選抜を潜った人材は確かに押しなべて優秀だし、彼らの努力はいくらでも言語化できるだろうし、就職支援業界は様々な物語を流布しているけれども、それって念じて宝くじに当たりましたとか、水の結晶が綺麗になりましたという話と本質的に変わらないんじゃないかな。
という訳で、せっかく優秀な頭を持って産まれた高学歴の方々には、もちろん就職活動を頑張ってもらうのも重要だけれども、確率的に就職できない可能性も見越してコンティジェンシープランを立てるべきだよね。どこなら体裁は悪いが手に職がつき、どこかのタイミングで行きたい方向に編入できるかもとか。だって就職活動そのものが強烈なレッドオーシャンで、そこに無自覚に突き進んで疲弊して、代替策もないまま社会に責任転嫁しちゃう奴なんて使えないじゃん。少なくともマーケとかコンサルは無理。ちゃんとしたキャリアプランなんか僕も立てたことないけど、定番の宝くじも押さえつつ、勝負どころで現実的な倍率に持ち込むための仕込みとか、立ち位置とか、差別化とか、そういうところに頭を使うのは会社に入ってからも役立つよ。横並びの競争を勝ち抜いて学問一筋できたひとには教えられないのかなぁ、そういう悪知恵とか。
大人は大人で純粋まっすぐ学生を「使えない」とか馬鹿にするだけじゃなくて、いずれそういうことを学校で教えられるようにするとか、学生さんが勘違いしないように多様なキャリアモデルを提示するとか、羨ましがられる仕事ぶりを発揮するとか、新卒偏重の採用を改めるとか、粛々と社会を変えていくべきだけど。仮にそうやって社会がもう少し真っ当になったとしても、いい大学を出たからいい会社に入るという時代ではなくなっているだろうけど。何故ならそれは日本が即席の近代化・経済成長を進めるフェーズを終え、自分の頭で考え模索せざるを得ない時代に入ったからだ。ポストフォーディズムとかいってるし学問やってれば、そういう大局観があって然るべき気がするんだけど、如何なものか。来週は別の旧帝大で集中講義なんだけど、どうやって考えさせるべきか考えさせられるな。