労務バイアスと出口のみえない若年雇用対策
「世界」10月号はまだ読んでいないが、ロスジェネ問題は世代間闘争にしたら負けかなと思っている。結局のところ企業労務って既に抱えている正社員の居場所を確保する仕事だし、労働法制もまた労務屋が働きやすい制度を用意して失業者を増やさないことが本分で、最初から居場所を持つことのできなかった人々をケアすることは本来の職務であっても既存労働者の保護と比べて優先順位は低いのだろう。彼らが最初から正社員でなければ、彼らが正社員じゃないのは制度のせいではないと強弁できるのだろうか。
日本型雇用システムによる矛盾の被害者って高齢・高学歴ニート・フリーターに限らず、いつまで経っても部下ができず大きな仕事の与えられないまま長時間働く若手正社員も同じように被害者だが、どうもこの両極端な境遇は分断されているようで、互いの境遇に共感し難いし共通の言葉がない。「働かざる者食うべからず」「生きさせろ」どちらも一方的で、互いに譲り合って既得権層から、引き出すべき譲歩を一本化しようという動きにはなり難い。
仕組みを壊さず徐々に状況を改善しようとすれば正社員の社会的な保護メカニズムを徐々に非正社員層に広げるのが現実的な方法論ではあるし、割を食っている層の切実さを考えれば過渡期に制度から零れ落ちる層は見殺しなのかという怨嗟の声が上がるのも一理ある。
しかし現実問題として今のところ雇用の受け皿の多くは民間企業で、彼らを対象に取れる政策的措置は限られる。大企業の新卒一括採用という雇用慣行が問題で、隗より始めよということであれば、公務員人事制度改革に合わせて役所の採用プロセスを見直すことはひとつの方向性だが、その動きが民間に波及するかは分からないし、熟練の機会を与えられないまま歳を重ねてしまったロスジェネ対策にはならない。
風の噂じゃ選挙が近いようだが各党の青年政策がどうなっているのか聞こえてこない。自民党総裁選でも大きな論点にはなっていないように見受けられる。日雇い派遣を血祭りに上げたところで改善する問題じゃないが、何をやれば地道で前向きなのか見当もつかない。いまどき労組なんて流行らないと思ってしまうのは自分が自己責任教に洗脳されてしまったせいか。それとも経営 対 労働という問題設定そのものが知識社会・グローバル資本主義の中で適切ではないのか。
そろそろ同世代内のゼロサムを前提にした怨嗟の構造は断ち切って、日本を「適切なジョブ社会にもっていく」ための世代を超えた具体的政策について議論しないと、この膠着状態から抜け出すことはないだろうし、経済が成熟していく過程で次の成長シナリオを描き難い。そのプロセスの過程で実務派との生産的な政策論争があればいいのだが。
一点だけ感想めいたことをいうと、ある種の人々からは意外に思われるかもしれませんが、この共同提言と一番近い立場にあるのは、実は八代尚宏氏と労働市場改革専門調査会の方々ではないかという印象を改めて強く持ちました。
私の言い方でいうと、メンバーシップを強調する日本型雇用システムの矛盾こそが今日の問題の根源であり、これを適切なジョブ型社会にもっていかなければ道は開けない、という強い指向です。
それは確かに原理的にはその通りという面があるのは確かなのですが、実はそこが現実主義者である私がそう簡単にその通りといえないところでもあるわけです。正社員のメンバーシップを水で薄めながらもその保護機能を維持しつつその水で割ったメンバーシップを非正社員にも広げていく中で、徐々に社会的な保護メカニズムを確立していくしかないだろうと、悔い改めない実務派は思うわけですね。