雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

嵐の前の静けさ

金融危機はきっと大恐慌並に世界史的な出来事なんだろうけど、昨日も今日もおいしい飯を食ったし実感が湧かない。そういえば9.11後も仕事でSan Diegoに行ったとき、方々で星条旗がはためき、野球の途中で荘厳な"God Bless America"斉唱があり、街中じゃ"In God We Trast, United We Stand"って広告キャンペーンをやっていて、あーアフガンで戦争やってるんだよな、けれど銃後は長閑で東京大空襲の最中もこんな風に長閑だったのかな、とか考えた。世界史的事件は教科書で後から追う印象と違って、日常性と並行して起こるんだろう。
日本じゃまだ顕在化していないが方々で津波が来るぞー、と囁き合っている。誰に解散権があるか弁えず選対からのリークを垂れ流す政治部記者には困ったものだが、10月末は総選挙どころじゃないだろう。大きな借金を借り替えなきゃならないところは真っ青になっているだろうし、ネット広告市場だって冷え込むだろうし、遠からずIT業界にも影を落とすのではないか。
リーマンは救済されなかったがFRBAIGに繋ぎ融資して、不良資産の政府による買い取りを数十兆単位で検討しているという。日経朝刊には「ドル信任喪失を警戒」とか書かれているが、中央銀行がバランスシートを膨らませて投資銀行だの保険だのまで所有して、どうするんだろうね。日本の金融当局を護送船団呼ばわりしていた連中の厚顔無恥っぷりには腹が立つが、だからって市場にお任せされても周りだって困るんだろうし。
流動性云々も分かるが「俺の儲けは俺のもの、俺の損はみんなのもの」って金融界の驕りは如何なものか。デリバティブとかサブプライムとか、難しい片仮名と数式や錚々たるロケット科学者に騙されそうになるが、結局のところ仕入れの安い高リスク債権を普通の債権にまぶして上の等級のラベル付けをして間抜けに買わせるって、本質的なところで牛肉偽装や耐震偽装と何が違うのだろう。理論武装がご立派で世界経済を人質に取っているかの違いでしかないのではないか。
裁定取引が市場の流動性を高めることは教科書的な説明だが、成長し続けるために途中から裁定すべき市場の歪みに飽き足らず、リスク計算の歪みや格付け会社の調査能力や利益相反に付け込んで、情報の非対称性や市場の歪みをでっち上げたことはモラルハザードとも考えられる。やっている当人たちに自覚とか悪意があったか気になるところではあるが。
泣いても笑っても日本・アジアの対米輸出は減って、アジアへの生産財の輸出も減るのだろう。いまは対岸の火事だが、遠からず資産の痛んでいる日本の金融機関とか、身の丈に合わない借金をしている事業会社も追い込まれるのではないか。GMの扱いとか間違うとナショナリズムを刺激するだろうし、次期大統領の対日政策へも影を落とすかも知れない。
大学で経済を学んでいながら起こっていることの全体像が見えず、ああすべき、こうすべきといった論議ができない自分に不甲斐なさを感じるが、渦中の人々も走りながら考えているのだろうし、まだ何かの終わりの始まりでしかなく、僕らにどういったかたちで火の粉が飛んでくるのか実感が湧かない。例えば津波警報が出ているとして、今のうち高台に避難しようにも、どっちに走れば安全かも皆目見当がつかず、毎朝不安げに新聞を眺めては思案するのである。