雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

ストビューの先にあるもの

ストビューは高木浩光氏が継続的に追っかけ様々な課題を明らかにしているが、グーグルの企業姿勢と制度上の課題とは切り分けて考える必要がある。需要と収益さえ見通せれば他のオンライン地図サービス事業者やカーナビメーカーも似たようなサービスを立ち上げるだろう。実際、マイクロソフトもシアトルとサンフランシスコの市街で似たようなことをやっているし、自動車メーカーやカーナビメーカーだって、以前から似たようなことは考えていたようだ。いま必要なことは、ストビュー的なサービスの先に何があるか想像力を働かせ、今後の政策的な課題を洗い出し、法律や条例の立法趣旨や被写体感情も踏まえつつ、現実的な落とし所を探ることではないか。
ストビュー問題で気になったのは日本の政策当局の動きの遅さである。関連省庁にかなりの問い合わせがきているらしいが、次の動きがみえない。欧州ではいち早く肖像権侵害の判決が出て顔を消す作業が行われ、イギリスやフランスでは目抜き通りしか撮影されておらず、カナダではサービスが始まってさえいないことと非常に対照的だ。日本法との兼ね合いが整理されないまま政府機関や軍事施設、住宅地や私道を含む詳細な地域が撮影された状態でサービスが立ち上がったことは、日本政府がナメられているか、日本の法整備が追い付いていないか、欧米と比べ日本法人の体制が追い付いていない等の理由が考えられる。
ロケーションビューは関連省庁などに事前の根回しを行ったらしいが、ストビューのステークホルダは幅広く、どこまで根回しをすればいいか非常に難しい。IT系サービスという点では内閣官房IT担当室の他に総務省経済産業省が考えられる。プライバシー関連で内閣府、地図情報は国土交通省、肖像権関連は文化庁、防犯対策は警察庁、防衛施設の撮影可否は防衛省が関係しよう。墓場の撮影に関連して横浜市の条例が話題となったが、地方自治体まで広げると無数の折衝先が考えられる。しかも前例のないサービスなので担当課を絞り込むことは難しそうだ。これら全て事前に回れといったら、それこそ参入障壁を高くしてイノベーションを阻害してしまう。さらに単独の業法で規制されている訳ではない以上、問い合わせを受けた官僚も玉虫色の否定的なコメントしか出せないのではないか。明確な根拠法に基づく規制権限を持った所管官庁があれば、批判が高まった時点で何らかの行政処分が行われたはずだ。
そういったことを総合的に判断すれば、関連省庁に対する事前の根回しよりは欧州のように裁判所で迅速に司法判断を下すことが現実的ではないか。例えば民法225条の2で塀の高さは2mが基本となっているが、この法文自体がストカーによる2m以上の高さからの撮影を禁止している訳ではなく、どこかの省庁がカメラの高さを低くするよう行政指導を行う法的根拠たり得ないのではないか。プライバシーに関連する様々な法律や判例から総合的に判断できるのは裁判所となるだろう。
しかし残念なことに日本では原告適格の要件が厳しく、個人やNPOがサービスそのものの是非を問う裁判を起こすことは難しい。福田前首相が消費者行政に熱心であったことは敬服するが、消費者庁といった屋上屋を重ねた規制官庁を新設するよりは、原告適格の要件を緩和してクラスアクション等を起こしやすくした方が筋が良かったのではないか。日本を訴訟社会にすべきかは悩みどころだが、官僚を中心に消費者行政の視点から政策立案すると事業者に対する規制色が強くなりがちだし、幅広い消費者の主体的な参画があってこその消費者重視ではないか。司法試験合格者の就職難もついでに解決できる可能性がある。閑話休題
そういう訳でストビューのサービスや顧客対応については突っ込みどころが諸々あるにしても、日本は米国やEUと比べて制度が整っていないというか、自分が仮にグーグルの渉外担当だったとしても扱いに困っただろう。事ここに至っては、ひとつひとつ問題を解きほぐしていくしかないよね、とか思う訳だ。司法制度改革じゃ話が大き過ぎるから現実的なところで、現行のストビューだけではなく近未来の技術的方向性や他の事業者の動きも踏まえつつ、従来の個人情報保護法制が利用者保護だけだったことに対して、そろそろ被写体保護というコンセプトを考え始めてもいいんじゃないかな。
いまはストカーだけが問題になっているが、遠からず無数の画像・映像が組織化されることになる。低消費電力のGPSチップが出てきたから、ケータイだけでなく遠からずデジカメに標準でGPSが載ってEXIFにGEOタグが付加されることになる。そうすればネット上の写真共有サービスで、時間と場所によって写真が組織化される。Photosynthのような3D合成技術を使えば、ストビューに写真をマッピングすることもできよう。車のバンパーについたカメラの映像がカーナビのHDDに保存され、地図のアップデートや交通事故の原因調査に活用されるかも知れない。監視カメラの映像を警備会社のクラウドに預け、事件発生時のトラブル対応まで代行することになろう。そうやって集中管理され組織化された画像・映像が、犯罪者の追跡やテロ対策のために利用されることは容易に想像できる。
遠からずストビューからは人影が消えるのではないか。今は各地をストカーが一度しか撮影していないのでデータが足りないが、何度も回れば衛星写真から雲を消す要領で街をゴーストタウンにできる。けれどもそれで問題が解消した訳ではない。顔や人を消せるということは、裏を返せば顔や人を認識しているということだ。消費者向けにはぼかしたり消したりしていても、データとしては残っている。それらの情報に対して顔認識を行い検索できるのだ。いまやっているかは別として、現行法の下で合法的に米捜査当局がストビューのデータからテロリストを検索できると考えられる。仮にこの機能を一般公開し、イメージ検索で名前を検索するとストカーやデジカメの位置情報に基づいて顔認識でいつどこにいたという情報がざくっと羅列されたらストビューと同様に騒ぎとなることが予想されるけれども、政府機関などに限定してサービスを提供する分には話題にならないだろう。
問題はここ数年で、写真に撮られたことの意味が大幅に変わるだろうということだ。多くの写真に日付とGEOタグがつき、クラウドにアップロードされている。これと顔認識などの技術を組み合わせれば、非常に多くの画像・映像を串刺しで個人の移動履歴を追跡できる。被写体となっている多くの人々は、カメラで写真に撮られたとして、それが個人的に楽しまれることは想定していても、写真が全世界に公開され、誰が写っているか簡単に検索でき、それらの履歴から行動を把握し得ることまでは想像が及ばないと考えられる。これは必ずしもストカーだけの問題ではなく、近未来の写真共有サービスに共通した課題ではないか。
これまでWebの勃興を受けた電子商取引のための制度整備などを通じ、利用者のプライバシー保護に関しては一定のルールができつつある。しかし画像や映像が大規模に全世界で共有され、そこにメタデータが付与されて検索可能となる世界では、利用者だけでなく被写体のプライバシーについて検討することが非常に重要となる。ネットの世界に関係する法律は限られているが、リアルと連携した途端に無数の法律が関係してくるので、個々の企業が厳密なリーガルチェックを行うことは極めて難しい。登場の予想されるサービスに対しては諸外国の動向を踏まえつつ関連省庁が連携してガイドラインを策定し、予想もしないサービスの登場に対して機敏に対応できるよう、原告適格の要件緩和など司法制度の見直しも併せて検討すべきではないか。
面白いサービスを世に問い、そういった課題に気づかせてくれた点でグーグルは先駆的かつ革新的な企業だし、このようなサービスの芽を潰してしまっては勿体ない。米国ではワシントンDCや軍事施設の撮影が制限され、欧州では撮影範囲が厳しく限定されている。政策関係者はストビューが日本で、欧州だけでなく米国と比べても法令や文化との調和が図られなかったことを教訓に、法律の想定していないサービスの法令遵守を円滑かつ迅速に行い、消費者の声を適切に反映できる制度的枠組みを検討すべきではないか。