雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

水平とか垂直とか、そろそろ卒業しようぜ

いってること自体はid:shi3zとか何年も前から警鐘を鳴らしていたことだし実際そうなんだろうけれども、もうちょっと深く考えて手を打たないと駄目かもね。水平対垂直とか、モジュール対摺り合わせとか、そういう議論は何年も堂々巡りの議論を続けているが、結局マトモなアウトプットが出てこないのは何故?たぶん水平・垂直といった静的な産業構造より、市場での企業淘汰や人材移動といった動的な側面も踏まえて、市場でのゲームが誰にどう機会を提供し、どこにレントを寄せて再投資させるか、みたいなところが大事かなと。

和田氏は、「ゲーム業界では10年遅れて同じ現象が起きた」という。90年代に日本のゲーム産業は急成長をおう歌した。しかし、その構造は完結して閉じており、すべてを自社で一貫開発する垂直統合だった。2000年代に入って、ミドルウエアなどの分業化を前提とする水平モデルへと世界が移行したときに、技術革新の速度に追いつけなくなった。

そういう風に考えたのは、重層的な下請け構造が自動車産業でよくてソフト産業じゃ駄目なのは何故?みたいなところから悩んでのことだけれど。前にブログに書いたけれど、自動車だといい部品を安く作れる会社が仕事を増やし、回収コストがかからず、生産性を上げて利益率を高めるけれども、部品代ではなく人月で取引するITの下請けは人手不足のときに機動的に高い単価でひとを押し込める会社が儲かって、旧態然とした取引形態では、技術力よりは交渉力と動員力が効いてくるんで悪貨が良貨を駆逐してしまうんじゃないか、とか。
ゲームの場合も、創業世代が現役なので若い人々にとっては意外とフロンティアじゃなかったり、ゲーム機の性能向上で製作コストが上がってパブリッシャーがリスク回避指向になっていたり、市場がグローバル化するとマネジメントの多様性が高い米国の方が有利になったりと、諸々の要因が働いているんじゃないかな、と。結局のところ優秀な人材に試行と成長の機会をどれだけ提供できるか、ということで、それってトップダウンで水平・垂直とか決まる話でもなくて、けっこう経路依存的で人間くさい問題じゃなかろうか。
これはたぶんだけど、10年15年前に生まれていればカリスマ・ゲームプロデューザーとかになっていた奴が、ナナロク世代ならケータイとかARとかiPhoneやってて、みたいな世界って、それはそれで健全な訳だけれども、世代が上がっていったところで気づいたらゲームのルールが変わっていました、みたいなことはありそう。けれども垂直なら垂直で任天堂みたいにペースセッターとなっている会社もあって、日本が表面的なところで危惧を持って欧米や韓国を真似ても勝てない気がする。彼らの産業構造ってあれはあれで自生的秩序なのだから、それを超えるなら日本も、単に相手を真似るんじゃなくて、相手を参考としつつ日本という地の利を生かして別の均衡への移行を考えるか、任天堂のように超然とすべきなんだろうな、と。
あまり答えになってないけれども、いくつかハブとなるコミュニティをつくって数年でbehindを埋められる状況でもなくて、なぜ日本じゃネットワークが整わないの?ってところを、もう少し掘り下げてみても良さそうだ。というか日本に立て籠もって競争力維持を図る以外に、国際分業体制の中での日本とか日本人のポジショニングを考え直す時期に来ているのは、ゲームだけでなく家電とかIT全般に言えそうな感じ。遠目でみれば産業だけれども、近くで見ると結局のところ人の問題で、それは別に中の人の能力云々ということじゃなくて、個々の人々が、どういう機会を与えられ、どう動機づけられて、どう育っているか、ということの集積を動学的に捉えて、流れを滞らせている要因を取り除くとか、かき回してみるとか、そういうことが大事な気がするんだけれど、具体的にどうすればいいかまでは見当がつかない。というかこの記事にある状況って、日本の輸出産業が多かれ少なかれ似たような課題を抱えている気がする。それでうまくいっていた時期も長いし、水平分業で全てが収束する世界でもなさげで。

では、何をするべきなのか。和田氏は、日本のゲーム産業が行うべきこととして、「多くのハブを作りネットワークを整えることの重要性」を訴える。
この取り組みは、企業が行うのか開発者個人が行うのか、どちらか一つという排他的関係ではなく、「様々なハブが同時に成立しうる」という。それらを通じて、新しい知識をゲーム産業に呼び込まなければならない。