雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

グダグダ処断できない点こそ旧軍と何も変わってないな

田母神氏を巡るゴタゴタについて、懸賞で賞を取った論文とか、更迭問題に対する制服組OBの同情的な述懐とか、官僚からの事実関係に対する批判とか、諸々blogでの反応は読んだ。
何割かは間違っていないことも書かれているが、条約に基づく云々といったら満州事変はどうなんだとか事実誤認も少なからずあり、現職の航空幕僚長が書くにはあまりに脇の甘い内容だし、アジア外交を考えると大きく国益を損ねる内容には首肯しかねる。
とはいえ個人の思想信条を論って文民統制云々というのも筋違いで、更迭しようにも理屈が立たず、下手に更迭すると制服組の士気に影響するねと気にしていたら、航空幕僚長を解任した時点で定年に達すとは屁理屈をこねる苦労の跡が伺える処断となったようだ。

懲戒処分に当たるかなどを判断するため事実関係を確認していたが、田母神氏本人が処分に必要な事情聴取などの手続きに応じず、自発的に辞職する考えもないと分かったため。

この世間の常識的に考えて更迭という雰囲気と、制服組界隈の同情的な意見とを考え合わせると、田母神氏をどう処断したところで問題は解決していないのではないかと考えさせられる。彼に公表を思い留まらせようとした人々は、この温度差を知っていて顕在化しないよう自制したのだろうし、田母神氏はそういった断絶こそ突破したかったのではないか。
彼の論文ではいくつか理屈を組み立てる上で都合の悪いことを意図的に無視した杜撰な内容ではあるが、平和憲法下の武力組織として、存在意義と歴史的正当性を認められたいという希求は社会的人間として自然な欲求だし、だからこそ政府は制服組の士気を気にして田母神氏を厳しく処断できないのではないか。
しかし事を荒立てぬために外へは更迭といい、内部では定年退職扱いで処理し、屁理屈をこねて曖昧にすることこそ、文民統制を脅かす欺瞞ではないか。それこそ甘粕ひとりに大杉殺しの罪を着せた後も口を割らぬよう世話して満州に厄介払いし、二・二六事件青年将校に対し昭和天皇が逆賊と喝破するまで処断に迷い、関東軍が勝手に満州で戦線を拡大することを止めることもできず、勝てないと分かっていても誰もブレーキを踏めずに米国と開戦してしまったグダグダと重なるのである。
結局のところ自民党は、党内に似たような史観も抱えたまま、選挙と外交を気にして田母神氏を更迭したことにし、制服組が身内を庇うことを許すのだろうか。それ自体が自民党防衛省も定見を持たず、事を荒立てないことだけを考えて物事を曖昧に済まそうとすると内外に露呈させ、かつての日本軍のような下克上の文化を許し、いずれ文民統制を脅かすことにならないか。
田母神氏の言動を問題にするのであれば、手続き上も懲戒免職とすべきだし、それができないなら最初から個人の思想信条と無視すればよかったのである。さすがに今後、問題を起こしても事情聴取に応じなければ更迭されず退職金を満額受け取れるという前例をつくるつもりでもないだろう。
彼が論文を出して賞を取ったことは、今のところ国益を大きく損ねているが、これを契機に論文が批判され賛否が世に出て、戦後史観と制服組史観との断絶を浮き彫りにしつつ、止揚の可能性も出てくるかも知れない。現役の制服組が懸賞論文に応募するという手法はあまりに稚拙だが、彼の処分を巡ってさえこのていたらくでは、こうやってゲリラ的に懸賞論文を発表する以外に議論を惹起する方法はなかったのではないか。
いずれ自衛官がもっと誇りを持って仕事できるような、けれども歴史的事実を踏まえた史観は組み立てられて然るべきだし、これから国際情勢が流動化する中で、戦後教育が旧軍を否定するばかりで地政学を疎かにしたことの代償は高くつくことを懸念している。しかし田母神論文の脇が甘いことよりも、彼の論文を無視も厳正な処断もできない自民党防衛省こそ旧軍と何一つ変わっていないのではないかと暗澹とした気分にさせられた。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

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甘粕正彦 乱心の曠野

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