雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

問題はひとを誰がどう育てるか

既得権益批判の先に行くことは大事だが、ちょっと方向が間違ってないか。制度設計如何でこれからも多くの労働者が家庭を持てるようにすべきだし、知的労働は引き続き正規雇用の割合が高いと考えられる。というのも、多くの知的労働って意外と蛸壺的な世界で、それなりに身分を保障しないと人的資本の蓄積が進まないし、せっかく投資した労働者を手放すことは会社としても惜しい。意外と格差が拡大するほど知的労働者の層は薄くなり、囲い込み指向が強まるのではないか。

だから、正規雇用!をなんて運動を見ると、知的労働者の世界ではむしろ正規雇用なんて、ナンセンスなんだ!だから正規雇用正規雇用なんて叫ぶのは時代遅れなんだよ!と正直思ってしまうこともありました。
難しい問題だと思います。
多くの労働者が70年代のようにマイホームを持ち男1人が働いて一家を支えられるような時代はもう来ないでしょう。しかし、それで多くの労働者が不幸せになるというのはまた別の問題でしょう。幸せのあり方はもっと多様なはずです。

総務省の就業構造基本調査によると、雇用者全体に占める非正規雇用者の割合は、15−19歳が1992年の36%から07年には72%に、20−24歳は17%から43%にそれぞれ増えた。非正規雇用の比率は全年代で増えているが、25−29歳(12%から28%)、30−34歳(14%から26%)に比べると、24歳以下の増加幅が大きい。

正規雇用の中で雇用の流動化が進むとしても、知的労働者を制度面で非正規雇用とする誘因は労使ともに小さい一方で、産業の新陳代謝が活発化する中で正規雇用で能力を蓄積した労働者が流動する機会は増えるだろう。営業やマーケティングといった汎用スキルを持ち、数年毎に正規雇用のポストを渡り歩く生き方は、だいぶ前から一般化しつつある。エンプロイアビリティの高い従業員であれば整理に当たって摩擦も生じ難く、わざわざ非正規雇用としなくてもシャッフルは難しくない。実際、正規雇用であっても近年は整理解雇4要件を上書きする判決が増えてきた。大事なのは地位の安定性について、労使で信頼と合意が形成されていることだ。
問題は正規雇用非正規雇用との間で能力差を超えた経済格差や機会格差が生じた場合に、婚姻率の低下を通じて少子高齢化を招き、非正規雇用層の人的資本が形成されず、階層間流動性の低下を通じて競争も起こらなくなってしまい、結果として経済全体の生産性を落とし、再投資が進まなくなってしまうことである。
大雑把にいえば欧州は福祉の充実や教育の無償化を通じて出生率を維持して十分な教育を提供し、米国は世界中から才能を集めて機会を提供することで国内格差が常態化しても優秀な人材が途絶えない仕組みとなっている。然るに日本は米国と違って外国人に十分な機会を提供する努力を怠ってきたし、欧州と違って教育を社会的費用として賄う決断もしなかった。結果として高齢化と格差拡大が深刻化し、多くの若者が希望を持てなくなっている。
もちろん幸せのあり方はもっと多様であるべきだし、女性の社会進出は促すべきだけれども、真面目に生きていれば安心して結婚し、子どもをつくり、能力に応じた教育を提供できる福祉は提供すべきだ。それは一部のロスジェネ論者が主張するような個人の権利ではなく、国として生き延びるために必要な投資ではないか。恐らく所得税率を累進化したところで、それほど頭脳流出は起こらない。逆に法外な収入を認めたところで、人間が真面目に働くとは限らない。例えばCDOCDSのスキームを悪用した投資銀行家なんか、立派な給料を貰っていても強欲な知的怠慢で、未来のことを考えていなかったではないか。
幸せのあり方が多様ということは、報酬は必ずしも金銭に限らないということだ。承認欲求とか使命感とか、人々は様々な動機で、低い報酬で真剣に働くこともあれば、法外な報酬でひとを欺くことだってある。ウォール街で起こったことが何よりそれを証明している。雇用の実態を鑑み、正規雇用非正規雇用という二重構造は早急に改める必要があるけれども、最も重要なことは人々が仕事を通じて能力開発する機会、次の世代に命を繋いでいく権利を国として保障し、次世代に対する投資を怠らないことではないか。