雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

米国以外でも学歴社会は衰退するのか

ポール・グレアムが面白いことを書いている。米国も昔は学歴社会だったのが、大企業から中小企業へと経済の担い手が代わる過程で、学歴が重視されなくなったという。ITは確かに小さな組織をエンパワーし得る。但し米国でどこまで学歴社会が衰退しているのか、それは他の国にも当てはまるのか疑問もある。

大きな組織ではこれができない。だが市場原理下の多数の小さな組織では、これに近いことができる。市場はさまざまな組織から、まさしく良いものだけを残す。組織が小さくなるほど「全員を採用し、能力のあるものだけを残す」に近づく。(略)
大きな組織の力が20世紀後半に最大限に達したとき、学歴時代の衰退が始まった。私たちは今、測定に基づいた新しい時代に突入したようだ。新しいモデルがそんなに急速に進んだ理由は、あまりにもうまくいくからだ。減速の兆しはまったく見られない。

まず米中なら測定に基づいて能力のあるものだけを残せるかも知れないが日欧の労働規制や社会規範はそうなっていない。次に中小企業の役割が高まったとして、大企業中心の下請け構造であり続ければ、人脈など非公式の人間関係、文化資本へのアクセス手段として学歴の有用性は残り続けるだろう。測定というがどんな仕事だって成果を横並びで測定できるとは限らないし、会社が必ずしも最高の成果を出す人材を望んでいるとは限らない。裏切らないこと、空気を読むこと、話が合うことが大事な世界だってある。
ネット業界は1990年代後半、僕にいろいろな機会を与えてくれたけれども、最近は当時と比べて保守的になっていると感じることがある。前の会社に学生のまま入ったのは僕だけだったし。祭りは終わってしまったのだろうか。否、あの頃と比べれば自分でサービスを立ち上げる上でのハードルは著しく下がっている。もはやアイデアを世に問うために会社の軒先を借りる必要はなくなった。学生の間で新たなサイトを立ち上げている個人は少なからずいる。最初は個人の立ち上げたサービスだったグリーが法人化し、上場に至ったことは興味深い。
こういった動きは事業に大きな資本を要さないネット界隈の一部に限られるのが実情で、多くの産業は今なお大きな資本を必要とする。残念なことにネットや携帯向けサービスも、昨今の違法有害情報対策で参入障壁の高い労働集約型産業に変貌しつつある。
キャリアプランを立てる上での情報が充実し、機会が増えたことは決して悪い話ではない。一方でITのもたらしたフラット化が必ずしも誰もに機会を提供した訳ではなく、マクロでみれば雇用が増えているか疑問も残るし、選択肢の多さに押しつぶされて無力感や疎外感を感じる層も少なからずいるのだろう。とはいえ日本もいい大学に入れなかったところで勝負は終わっておらず、人生を諦めてしまう時代ではなくなっているし、韓国の学歴社会も遠からず徐々に衰退するのだろうか。