明日は今日よりよくなると信じれば
「明日は今日よりよくなる」ってバブル世代の人々が信じているってのが意外だった。うちの両親は団塊世代の末の方だが、小さな頃から鍋を突きながら「いつまでこういう、いい暮らしができるかねえ」とか話していたし。僕はもう若い頃から、いつ恐慌になるか、自分のいる会社がぶっ潰れるか、居場所がなくなるか悩みながら、全てのリスクはヘッジできないにせよ、ヘッジできそうなところは手を打っておこうって心構えでいる。できていないけど。
自称就活勝ち組上位5%のいわゆるエリートの、挫折知らずの野心に満ちた、みるからにポジティブ!という彼らだったが、話していて、彼らと私の世代との最大のギャップに気づいた。
それは、基本的に、「明日は今日よりよくなる」と信じている世代と、「明日は今日より悪くなる」と不安に思っている世代の違い。
山一証券が潰れたり諸々あった時期、学生だった僕はバイトしていたDOS/V屋が倒産寸前で、バイト代とか仲介した先に納品されていない商品の債権回収に苦しんだことがある。後輩を預けていたベンチャーの経営者連中と「日本が駄目になってもコスモポリタンとして生き残れるよう頑張ろう、けれども持てる力は日本のために使おう」とか誓い合った。
前いた会社を辞めるときは会社に運転資金が数ヶ月分も残っておらず、最後に仕事を取ったときは与信で落とされて「あー、この仕事はコンサルだから、あいつの身柄さえ抑えておけば確実に回収できるんで」とか、取引先の担当者から非常に恥ずかしいフォローを貰って何とか通した。今の会社に入ってからも、入社1年目で同期の何割もがリストラされて、3年後には半分も残っていなかったし、3年前には社長と上司の確執で、自分のポストがなくなる憂き目にも遭った。結果的には明日は今日よりよくなってるんだけど、それってすげー偶然、ラッキー、みたいな思いが強い。
お前らどうしてそんなに人間不信、社会不信なんだよとか聞かれそうだけど、実際のところ人生って紙一重だよねって散々な目には遭っている訳だ。しかも、身の回りには理不尽を避け損ねて燻っている連中が少なくない。世の中の仕組みに守られてきたんじゃなくて、生き抜いたり運が良かったって思いがある。だから、政府なり会社に守ってもらうことが当たり前!みたいなメンタリティの連中に出会うと虫酸が走る。結局、自分の身は自分で守るしかない。けれども多くの人に居場所を提供できなければ社会が不安定になるから、みんなで知恵を出し合って居場所をつくろうぜってことだ。
さて、いま15歳の息子にとって、世界は、人生は、どう見えているのだろう?
願わくば、やはり、「今日はすばらしい。明日はもっとすばらしい」と根底で思っていて、そのために、自分と世界の明日を作っていく人になって欲しいと思うけれど……。
僕もいま7歳5歳3歳の息子に、どう思って欲しいかって悩みはあるんだけれども、やっぱり「今日はすばらしい。明日はもっとすばらしい」と根底で思っていて欲しい。それは必ずしも経済指標でなくていい。まず自分にとって今日よりも明日、次に身の回りにとって今日よりも明日、少しでも良くなっていればいい。そして経済が縮小していたって、それとは別の豊かさも諸々ある訳で、そういう多様な豊かさの軸を持って欲しい。その上で、けれども、経済を拡大していくことが、価値観の異なる多くの人々を少しずつ幸せにしていく方法のひとつなのだから、そこに貢献することを通じて居場所を得られれば、それは素晴らしいことではないか。
という訳で締まりがないのだが「今日はすばらしい。明日はもっとすばらしい」って、厳しい経済情勢を受け止めつつ確信し手応えを実感できる環境をどう創るかというのは、なかなか難しいところではある。けれども逆に難しいからこそ、そうやって前向きに動けるひとの価値が高まり、そこに新たな機会が生まれる気もするのである。