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なぜタクシー増車問題が共有地の悲劇ではないか

まさかマトモな経済学者がタクシー市場を共有地の悲劇に喩える愚は犯すまいと改めて議事録を確認したところ、この比喩を最初に持ち出したのは東工大藤井聡教授らしい。第1回での冒頭発言だし、最初から規制強化を目論む事務方が吹き込んだのではないか。
ひとりも経済学者のいない場で議論されたのだから、こんな杜撰な議論が罷り通っても仕方がない。いつものことではあるがシナリオに沿って委員選定したのだろうし、きっと事務局のシナリオに乗ってくれそうな経済学者をみつけられなかったのだろう。困ったものだ。
タクシー増車問題で起こっていることは、そもそも共有地の悲劇ではない。消費者は過剰利用によって枯渇する資源ではないからだ。コスト条件の悪い事業者が退出すれば需給は適正化する。イギリス産業革命前夜の哀れな牧羊は柵で囲い込まれて、餓えても座して死を待つしかないが、タクシー運転手は転職する選択肢がある。共有地の牧草には価格がついておらず自然に育つのを待つしかないが、消費者はタクシーに乗ったからといって、この世から消えてなくなってしまう訳ではなく、またタクシー需要も総量が決まっており少しずつしか再生産されない牧草と違って、価格設定や広告宣伝如何で掘り起こし得る。
産業革命前夜のイギリスで共有地の悲劇という市場の失敗が発生したのは、共有地の牧草が天然資源という外部経済で、牧羊には市場から退出する自由と意思がないからだ。確かに羊飼いとタクシー事業者の利潤動機や先を考えない行動が多少は似ているとはいえ、この比喩は消費者や乗務員の制約条件や行動、価格による調整の可能性を無視しているし、そもそも「共有地の悲劇」による問題は羊飼いが共倒れすることではなく、牧草が再生産できる水準を超えて消費され、枯渇してしまうことである。しかしタクシーが利用者を奪い合ったところで、決して利用者そのものがいなくなってしまう訳ではない。だから「共有地の悲劇=市場の失敗=政府による参入規制」という論理構成は、最初から破綻しているのである。
ではタクシー業界で何が起こっているのか。不況や消費性向の変化による構造的な需要減、リストラや企業倒産による乗務員希望者の絶え間ない流入年金生活者など低い所得水準でも市場から退出しない乗務員といった構造要因によって乗務員の賃金が低位で均衡している。一部の悪質な事業者は、成功報酬型の賃金モデルで、最低賃金を下回る水準で生産性の低い乗務員を働かせている。にも関わらず、労働基準監督署には是正勧告を超える法的執行権限がなく、ほぼ放置されているのではないか。監督官庁である厚生労働省は交通政策に対して責任を負っておらず、悪質なタクシー事業者を優先して取り締まる誘因も責任もない。

現行の労働者派遣法に労働者保護の面で問題があるからといって、なんでそれがギョーカイ規制になるのか。
労働者保護を問題とすべきところで、労働者保護が出てこずに、ギョーカイ規制がしゃしゃり出てくるというのが、日本のギョーカイ主義の悪い面だということが未だにわからないのか。
タクシーの運転手の労働条件を労働規制の強化で何とかしようとする代わりに、すぐにタクシーギョーカイの需給調整でなんとかしようとする、医師の労働条件に問題があるというと、すぐに医師の需給がどうたらこうたら。以下すべて同じ。

結局のところ、それぞれの官庁が所管業界の労働問題を解決しようにも労働基準監督署が不甲斐ないから、真面目な担当官が任期中に庭先を掃除しようとすれば、自分たちの政策手段を使うしかないのである。それが権限強化とか外郭団体の仕事を増やすことになれば、手柄も立つのだろうか。
官側の事情を斟酌すれば、業界規制と比べて労働規制は行政コストが高い。いまの方法で個別に労働規制を適用すれば、かなり労働基準監督署の人員を拡大する必要があるだろう。小泉改革では「規制緩和=小さな政府」という幻想が蔓延していたが、事前規制から事後紛争解決に切り替えれば、監視や執行にかかるコストは増す。だから欧米の政府は日本と比べて大きいのである。タクシー業界で需給調節を正当化するのであれば「共有地の悲劇」論よりは、行政コストと公正性とを比較考量する方が経済学的には筋がいい。
とはいえ、タクシーはメーターなど労働時間や稼働率など機械的な管理が比較的容易な業種なので、業規制としてタクシー事業者に対して労働時間・賃金の提出義務を課して抜き打ちで監査するとか、公益通報窓口を用意するといった業界規制によって、効率的に労働規制することも考えられる。そういった発想が出てこないのは、労働規制は厚生労働省の仕事といった縦割り意識が働いているのだろうか。
タクシーに限らず、労働行政の非効率さと不徹底さに対しては、何らかの措置を要することは確かだ。省をまたいだ途端に道のりは遠いのだが、内閣の下に円滑かつ効率的に各業界での労働規制を徹底するための連携組織をつくれば、うーん機能するんだろうか。ぜひとも労働学者諸氏には、不況で焼け太り業界規制を試みる風潮を嘆くだけでなく、低い行政コストで実効的に機能する労働基準監督の仕組みを一緒に考えていただきたい。