雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

アジャイルな制度設計の可能性とか

衆議院議員早川忠孝氏がブログで政治資金規正法の問題と絡めて議員立法の課題を指摘されており非常に興味深い。世論の注目が集まっている課題では検討に時間をかけられない上、法制局が起草とレビューの両方をやるのでチェックが甘くなりがち。あと法文の詰めが国会の委員会ではなく党の部会やら与野党協議といった非公式の場で行われるので、もともとの立法者意思が委員会の議事録に残らないことも大きいのではないか。
政治資金規正法がどうだったか分からないが、青少年系の法律でよくあるように部会での議論から与野党協議まで非公式にやった上で委員長提案・即日採決という流れだと、法文についての委員会審議は実質1日しかできなかったり。委員会では民間参考人召致にばかり時間を使って法文の詰めは水面下で行う流れだと、条文の細部に宿る立法者意思を公式な国会の議事録に残すことが難しい。
粗々の議員立法が通った場合、施行規則は所管省庁でつくって内閣法制局で審査するが、そこで矛盾やら誤謬がみつかっても法律を修正する訳にはいかない。明らかに間違った仕様書に基づいて実装を書かなきゃならないプログラマのようなものである。施行規則案も念頭に置きつつ法案をつくった方が品質の高い法案をつくれるのではないかという考えもあるが、それはそれで官僚内閣制に毒されている気もする。
ネットのように流動的な政策対象に対して事前に完璧な法律をつくるなんて難しいのであって、法律は理念と目的をつくって、現場レベルで反復的に試行錯誤するアジャイルな政策枠組みがあるといいが難しいのだろうか。同じ大陸法の欧州も、理念こそご立派な欧州指令がいっぱい出ているのに、さっぱり法執行される気配がないみたいな話がゴロゴロしているし。
前にも何度か書いたが、法律で原則を定めつつ細かいところは判例を蓄積していくコモン・ロー的なアプローチを、シビル・ローの法体系の上に載せる方策はないものか。法律の目的に立ち返って法執行の趣旨を微調整できないと、現場が都合よく法文を読み替えて勝手にルールを変えることに対して、何らチェックが働かなくなってしまう。手続き論として法廷闘争できるにしても、検挙や報道による社会的制裁を元に戻すことはできないのだし。
法律の構成要件って見た目は日本語でも肝は集合論なので、文法チェッカーや形式検証ツールで品質を高められないのだろうか。法律に特化したDSLコンパイラにかけると法文が自動生成されるとか。改める文の自動生成と検証ツールくらいなら比較的容易にできそう。もうどっかにあるのかなあ。法律案の履歴管理とBTSがあれば、後から立法者意思を推測するのも容易なんだけどなあ。やっぱり危なすぎて全ては記録に残せないのかなあ。

国会議員はアイデアを出し、法制局がそのアイデアについて法制局の観点から吟味を行い、その肉付けをし、最後に条文化に向けた作業を行う。大体そんなイメージです。
(略)
たまたま世論の注目が集まり、現行法に欠陥があるという認識が広がっていたので、法の抜け穴をどうやって防ぐかという観点から大急ぎで手当てをした。
そういうときに、おやっ、と思うような条項が潜り込むのです。
いったいこの規定は、どんな場合に適用されるのだろうか。
この条項を杓子定規に解釈したら、とんでもないことになるのだが。
法律実務家であれば当然危惧を抱くような条項が、法律として成立してしまうことがあります。